嵐山町web博物誌・第6巻「郷土史アーカイブ」
第3節:昭和(町制施行後)
- 嵐山町(1967.4.15 町制施行)
- 広報1967 嵐山町発足4月15日
- 広報1967 嵐山町章・町歌・嵐山音頭が制定される
- 広報1967 嵐山町歌応募入選作品
- 広報1967 嵐山町観光協会と改称:通常総会終る
- 広報1967 町制施行後初の議員選終わる
- 広報1968 嵐山町が都市計画法の適用を受ける
- 広報1968 議員の心構え[議会議長 高橋行雄]
- 広報1968 嵐山町公災害防止条例が制定される
- 広報1968 将軍沢ダム対策地区委員会が作られる
- 広報1969 将軍沢ダムの建設を取り止め:社会状勢の変化による
- 広報1971 年頭の辞[町長 関根茂章・議長 山岸宗朋]
- 会報1974 ローマ・クラブの警告 人口と食糧生産のアンバランス[関根茂章]
- 会報1975 民主主義とはなにか[関根昭二]
- 会報1977 嵐山町国民年金委員を委嘱:保険料の口座振替をPR
- 広報1977 町の花つつじ 町の木梅 と決定
- 広報1977 町民いこいの場に:菅谷公園開園
- 広報1980 明るい町づくりの指標に:町民憲章策定委員会が発足
- 広報1980 明るい町づくりの指標に:町民憲章できる 菅谷七郷合併25周年
- 広報1980 里づくり文化構想:文化行政懇談会の提言
- 広報1980 町民憲章等推進協議会が発足
- 広報1981 里づくり文化構想:文化行政推進委員会の答申
- 広報1981 ふる里づくり推進協議会が発足
- 広報1981 松本清張氏の講演で町民文化大学開講
- 広報1981 県民休養地基本計画まとまる:二瀬周辺など四一〇ヘクタール
- 新聞1982 県が「オオムラサキの森」:嵐山渓谷に楽園を復活
- 広報1982 県のコミュニティ推進地区に指定される:志賀二区自治会
- 広報1982 嵐山町青少年健全育成会が発足する
- 広報1982 発車した駅東区画整理:駅東土地区画整理組合が発足
- 新聞1983 嵐山町が生まれ変わる:62年3月完成予定駅東側開発に着手
- 広報1983 日赤の旧社屋鎌小で第二の人生
- 史誌1983 嵐山町議会の定数を減少する条例可決:定数26から24名に
- 広報1984 ふる里づくり推進協議会が任意団体として発足
- 広報1984 退任のあいさつ[前町長 関根茂章]
- 広報1984 嵐山町長選挙 無投票で関根昭二氏が初当選:健康で活力ある町づくりを
- 新聞1986 オオムラサキの森 町民の力で造ろう:計画策定 夢膨らませる関係者
- 新聞1986 ハイタウン比企21構想がまとまる
- 広報1986 第一回嵐山音楽祭が開かれる
- 広報1986 嵐山音楽祭の舞台裏[嵐山音楽祭実行委員 三井幸子]
- 史誌1987 私の思い出[金井倉次郎]
- 史誌1987 議会在職当時の思い出[山岸宗朋]
- 広報1987 文化の視点で考える:嵐山町民文化大学[運営委員 武谷]
- 広報1987 相互理解を深めるために:志賀地区合同懇親会[志賀二区自治会事務局長 田中吉昭]
- 広報1988 若者と考えるわが町のイメージづくり
- 広報1988 昭和63年度施政方針:21世紀へのかけ橋を築くために[嵐山町長 関根昭二]
- 広報1988 第3次総合振興計画策定に向けて
- 広報1988 嵐山町ってどんなまち:イメージアップの可能性を求めて
- 広報1988 これからの嵐山町づくり