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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

婦人のページ

舞台裏から

嵐山音楽祭実行委員 三井幸子  

 嵐山の人びとに良い音楽を聴かせてあげたい、という関根町長の強い熱意によって、第一回嵐山音楽祭が十月二十六日に行われました。
 行事の多い時期だったにもかかわらず、たくさんの人々が集まり、フルート、ソプラノ独唱、弦楽合奏、サキソフォンアンサンブルと、それぞれに味わいのある豊かな音色を楽しみました。実行委員として運営に携わった私たちは、最後に寄せられた皆様の感動の拍手と、また開いて欲しいという多くのかたがたの感想を得てこれまでの努力が報われた気がしてホットいたしました。
 音楽祭実行委員会がスタートしたのは五月でした。顧問のかたは別として、十五人の委員のほとんどが主婦。音楽に縁のあるかたもないかたも含め、「なんで私が?」という疑問を抱きながら、一枚の委嘱状をいただいたばかりに、企画、ポスター類の作成、チケットの販売、当日の場内係と、すべての運営を行わなければいけない立場になってしまったのです。
 これまで二度ありましたコンサートのときは観客の立場でしたので、どんな音楽が聴けるかと楽しみにでかけるだけでよかったのに、裏方になると実にいろいろな仕事があるものです。当日はどの位のかたが聴きに来てくださるのか、演奏のかたも、支障なく進められるのか、心配ばかりでした。定刻どおりにフルートの演奏が始まりました。「あらっ、時間どおりなの?」かけ込んだかたが多数、開場と開演の時間を明示しなかったこと、反省しきり。舞台裏でピアノの汚れに気がついたときは、演奏家が席につかれたときで、見苦しかったり、譜面台が足りなかったりなど失敗も多々ありました。二部の演奏家のかたたちの到着が遅れてハラハラさせられたりもしました。子どもたちがちょっと飽きて騒がしかったり、大人でも演奏中のおしゃべりが気になったり、生の演奏を心地よく味わうためのマナーも身につけて欲しいような気もいたしました。
 実行委員以外にも多くのかたの御協力を得て、無事に終了した音楽祭でした。でも残念なことが一つ。チケットの販売枚数より入場者の数が少なかったことです。実行委員の強引な売り込みに義理でつき合ってくださったかたが多かったのかなと、申し訳なくも思っております。でも身近な場所で生の演奏を耳にできるせっかくの機会、多くの人に共に味わって欲しかったなと思います。
 三月一日には、第二回嵐山音楽祭が予定されております。多くの人に楽しんでいただきたいというのが、実行委員一同の願いでもあります。日ごろ音楽には縁遠いと思われているかたも、カラオケなら得意なんだけど、というかたも、ぜひ耳を傾けに来ていただければ幸いです。

『嵐山町報道』349号「婦人のページ」1986年(昭和61)12月25日
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