第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政
嵐山町
若者と考えるわが町のイメージづくり・PART2
これからの嵐山町づくり
〝ぼくらにぜんぶ任せろ〟とは言わないが…。二十一世紀を展望する町づくりの指針となる第三次総合振興計画について、前号、前々号と関連記事を載せてきましたが、主役となる若者たちはどのようにかんがえているのでしょうか。本年一月号に続く第二弾として、今度は、青年クラブ、青少年相談員、手話を学ぶ会、4Hクラブなどの各団体の例会を訪問し、若い世代の飾らない声を聞いてみました。
いい町づくりをするため まずこんなことから……
今、町に各種の町民からなる委員会がありますが、どの委員会も同じようなメンバーで構成されていて、変り映えがしません。何人もの若者がはっきり意見が言えて、それを人生経験のある年配者がサポートしてくれたり、アドバイスして実現可能なものにしていくというかたちがとれるような委員会の構成と、時間帯(昼間が多いため、仕事を休まなければならない)とをかんがえてほしいと思います。もう一つ、ある団体の長あるために当て職としてくる委員というのをやめてほしいのです。人選はその団体に任せてもらって、適任者を団体のほうで選出させてほしいと思います。
会議に出ても、ほとんど決定されたものを承諾し、それに従って行事を手伝うというかたちのものが多いけれど、できれば企画の段階から参加し、いっしょに考えていきたいと思います。ちょうどいい時期だから新町長には、こんなふうにしてほしい
一、まず、任期を気にしないでほしい。短期の実績にこだわらず、長期展望にたって、ほんとうに町にとって良いものをつくってほしい。
一、素人考えをたいせつにしてほしい。実際そこに住んでいる人間が、いちばんその土地のことはよく知っているのだから。
一、嵐山町の産業の柱となるものをつくってほしい。
一、町のシンボルがほしい。魅力的なものが今何もない。
一、嵐山町全体をみると、施設その他、一方に偏りすぎている。
一、他町村がつくったからといってまねをせず、真に嵐山町にとって必要なもの、利用者が徐々に増えていくような施設をつくってほしい。
一、海外との交流も考えてほしい。では具体的には、どんな施策、施設を望むかというと……
一、町役場を、駐車場を多くとれるもっと広い場所に移転してほしい。
一、立ち入り禁止の立て札のない芝生と自由に散歩のできる道と、気軽に使える広場や空き地のある、広く大きな公園がほしい。
一、コンサートができるような野外音楽堂がほしい。
一、有料でいいから、開放的なスポーツ施設がほしい。現在テニスコートや体育館など無料で使えるが、登録制なのでめんどうだし、閉鎖的で町外の人々には使えない。
一、地区ごとの集会所を充実してほしい。
一、菅谷館跡を再現してほしい。
一、駅前の整備。すばらしい景観と、安心して買い物のできる道路づくり。できれば、町政や町内の事情が一目でわかるようなモニターテレビも。
一、ナイター設備をもつ宿泊施設。
一、ゴミ処理施設などマイナス面をもつものを利用して、レジャーランドやヘルスセンターなどをつくってほしい。
一、本格的な図書館。
一、スタジオ。楽器の練習をする場所を確保したい。
一、外国の学校の姉妹校を嵐山町につくってほしい。さあ、明日の嵐山町づくりを彼らに任せられるかな……
出ました、出ました。言いたい放題、思う存分吐き出された希望の数々。けれど「なるほど」と思うことがありませんか。概して彼らは、間に合わせ的施策に対して批判的です。例えば、歩車道境界ブロックにフラワーポットやプランターに入れて置かれている花いっぱい運動。看板倒れともいわれるあいさつ道路の看板。舗装さえすればよいという、将来の見通しも計画性もない道路行政等など。八方美人的な行政はどこまでも間に合わせで、いちおうあります、いちおうやっていますという行政では、彼らの望む「嵐山町といえばコレ」という特色のある町づくりは、不可能ではないでしょうか。
折しも中学生が祖母と両親を殺すという事件、兄妹四人がマンションに置き去りされた事件があった後なので、これから父親・母親になろうとする彼らに、「子育て」について質問してみました。子は親の背を見て育つといいますから、やはり自分が信念をもつこと、一から十まで完全な人間などいないのだから何かひとつでいい、これだけは自分がいっしょうけんめいやっているというものを持っていることがたいせつだと思います。また、間違ったときに、無理に押し通すことなく、訂正するという態度がとれることもたいせつだと思います。今の子供は親の働く姿を見ていないので、親の苦労を知らなさすぎます。生きることの厳しさを教えるためにも安易に物を買い与えたりせず、労働に対する報酬といったかたちで与えたらと思います。またどんなに忙しくても、いつも子供を見ていて、子供のことをよく知っている親になりたいと思います。
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以上簡単にまとめましたが、やたらに今の親を非難するということもなく、自分自身の意見をしっかり持った頼もしい青年たちでした。確かに、福祉の面ではほとんど何の意見もでませんでしたが、そういう面は年配者(経験者)が補っていけばよいのではないでしょうか。
『嵐山町報道』366号「若者と考えるわが町のイメージづくり」1988年(昭和63)9月15日
まじめで、年配者に対する敬意も持ち合わせ、意志もはっきりとした意気のいい彼らに、もう少し行政に参加してもらえたら、嵐山町ももっと何か変わった方向で魅力的な町となるのではないでしょうか。
二十一世紀を目指す町づくりには、ぜひ、二十一世紀に主役となる若者たちに参加してほしいと思います。