第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政
嵐山町
民主主義とはなにか
関根 昭二
昭和の年代が五十年を迎えた。前半の二十年は戦争の時代であり、後半の三十年は平和と民主主義の時代であった。
『興農ニューズ』第2号 嵐山町興農青年会, 1975年(昭和50)3月
私は戦争を体験し、さらに敗戦という悲劇を目のあたり見てきた。全く歴史的にも精神的にも大きな転換を余儀なくされたのである。
戦後三十年たった今日、吾々は民主主義について深く考えてみる必要があるのではなかろうか。 吾々が敗戦後、自由と平和の理念にもとずく民主主義というイデオロギーを知ったとき、それは実にすばらしいものに思えたのである。言論の自由、表現の自由、信仰の自由など多くの自由が吾々のものとして、しかも侵すべからざるものとしてそこにあった。
このような民主主義の社会は果して吾々国民の期待に応えうる社会制度をもたらしたであろうか。例えば教育はどうか。学歴偏重の社会を打破しようとする考え方は戦前にもあった。学校を出なくても実力があればいくらでも世に認められる社会を望んでいた。だが平等を口にする民主主義の時代になっても何ら解決できないでいる。それのみか却って学歴を一層尊重する傾向になった。中学を卒業して高等学校へ入学しようとする人は九十%を超えると言われている。吾々の時代には旧制中学へ行く人は村でも一人か二人にすぎなかった。しからば高等学校へ行く人がこんなに多くなって、この社会は前より良くなったと云えるであろうか。東京家裁の調査官によると昭和四十一年(1966)に家庭裁判所に面倒をみてもらった非行少年は中学生の十六%・高校生二十%であったものが四十八年(1973)には二十六%・三十三%にそれぞれ増加し非学生は六十二%から三十六%に激減した。しかもこれらの高校生は国語で「暴行」の「暴」の字が書けない。英語では学校というスペルが書けない。というおどろくべき学力低下が示されている。
一体、民主主義の教育とは、このように非行少年を増加させ、勉強もろくに出きない生徒のために高校は存在しなければならないのであろうか。どうして学力がなくて卒業証書だけくれる学校のために国民は税金を払わなければならないのであろうか。こんな民主主義こそ愚者の民主主義でなくて何であろう。今の日本を支配しているのはまさに愚劣なる民主主義であり、吾々にはこのような民主主義を打倒しない限り理想の社会を築くことはできないであろう。