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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

嵐山町国民年金委員を委嘱
  ——保険料の口座振替をPR

 1959年(昭和34)4月16日、国民年金法が制定され1961年(昭和36)4月から施行、保険料徴収がはじまった。国民年金委員は、1960年(昭和35)3月25日付厚生事務次官通知をもとに、市町村長又は地方社会保険事務局長が国民年金委員を設置してきた制度である。埼玉県内市町村では1979年(昭和54)11月現在、「国民年金委員」3967名がおかれ、知事委嘱の「国民年金指導委員」300名とともに国民年金事業の推進、保険料納付促進活動に協力していた。2002年4月、国民年金保険料の納付先が市区町村から国へ変更され、翌2003年(平成15)、社会保険庁長官が委嘱する新たな国民年金委員制度が創設された。
 年金制度開始以来1970年代まで年金保険料を納税組合、婦人会、青年団、自治会等の組織や区長、民生委員、年金委員等個人を利用して集金した地域もあるらしいが、嵐山町では国民年金保険料は口座振替、役場住民課、郵便局、小川信用金庫、農協の窓口での納付のほかは、国民年金制度創設以来、嘱託の専任徴収員1名が戸別訪問して保険料を徴収していた。

   嵐山町国民年金委員設置要綱 1977年1月
(目的)
第一条 国民年金制度の普及徹底と本制度の運営の円滑を図るため、嵐山町国民年金委員(以下年金委員という)を置く。
(職務)
第二条 年金委員の職務は次のとおりとする。
 一 国民年金事務協力組織の育成強化
 二 国民年金協力組織の行う業務全般についての指導相談協力
 三 国民年金制度の普及の促進
(設置基準)
第三条 年金委員は、嵐山町区長設置条例による区域を単位として一人を置く。ただし、これにより難い事情がある場合はこの限りではない。
(委嘱)
第四条 年金委員は被保険者で、地域に居住する知識経験を有する者のなかから町長が委嘱する。
(任期)
第五条 年金委員の任期は一年とする。ただし、再任は妨げない。委員が欠けた場合における補欠委員の任期は、前任者の残任期間とする。
(委任)
第六条 この要綱に定めるもののほか、必要な事項は町長が別に定める。
  附則
 この要項は、昭和五十二年一月四日から施行する。

 国民年金委員設置要綱とともに、「国民年金制度の発展とその円滑な運営をはかるため、国民年金委員相互の連携を強化し、もって住民の福祉増進に寄与することを目的」とする国民年金委員協議会が設置され、嵐山町役場住民課に事務所が置かれた。その事業として、「国民年金保険料納付組織の育成及び指導に関すること、国民年金保険料事務の促進に関すること、国民年金適用事務の促進に関すること、国民年金制度の啓発宣伝に関すること、国民年金委員相互の連絡調整に関すること、その他目的達成に必要な事項に関すること」を事業とすることが定められた(「嵐山町国民年金委員協議会規約」2月2日施行)。嵐山町では、1997年(平成9)度まで年金委員の委嘱は実施されていたようである。

ルポ 保険料は「口座振替」を
      加入者に呼びかける嵐山町

 手数もはぶけ、納め忘れがないのがうけて、いまではすっかり一般家庭に浸透している、電話、テレビ、水道料などの「自動口座振替制度」。
 そこに目をつけて「国民年金の保険料は口座振替を」と、PR作戦を展開しているのは嵐山町である。
 現在の普及率二十五%を、一気に八十%まで引き上げようと大きな目標をかかげて奮闘する職員の表情は……。

  比企丘陵の自然が生きている
 鎌倉時代の史跡や文化財など、今から数千年前の縄文土器などが発見され、先人の歴史のあとをしのばせる嵐山町。
 最近では、県立「嵐山郷」についで「国立婦人教育会館」なども建設中であり、これらの公共施設は社会福祉、婦人の地位向上に役立つであろう。
 農業を中心に栄えたこの町に、工場誘致条例ができたのは、昭和三十二年(1957)。これを契機として急速に工業や商業が発展し、比企丘陵の自然を生かした町のビジョン「自然と調和した文化的田園都市づくり」が着々と進められている。

  口座振替の収納窓口を拡大
     農協も取扱う

 国民年金の保険料は、だれでも納められるように比較的安い保険料となっているものの、昨年九月からは、老齢年金など年金額の大幅引き上げもあって、この四月分から一か月二千二百円に改められる。
 「この前の改定でも納付の遅れがあった。このままでは年金受給権にもひびいてくる。」……腹にすえかねた小沢勝係長は、この深刻な実態を踏まえて、従来の「納め方」の「練り直し」が急務と踏んだ。
 三か月検認を二か月検認に切り替える方法も考えたが、基準月の問題がからんでスッキリしない。
 そこで、脳裡をかすめたのが、電話、テレビ、水道なみの「国民年金保険料自動口座振替制度」の導入だったという。
 現在も、口座振替制度を実施しているが、利用者は少なく、加入者の二十五%程度。そこで、加入者に利用しやすくするため、収納窓口を銀行だけではなく、農協でも取扱っていただくよう、各農協をかけ回り、説明会もやってのけた。
 「実施要綱づくりから、チラシ、金融機関との契約まで、原案は何回となく手を加え、修正し、なんとか格好がつきました」……苦難のあとを振りかえる小沢係長である。

  嵐山町がお気に入り

 「わたしは、嵐山町で年金を受けるため、嵐山町へ転入した。」
 ある日のこと、窓口を訪れたK町に住むTさんは、応対に出た小黒準三係員にそっと打ち明けた。
 「口座振替もあるし、紛失した納付書は作ってくれるし、納め忘れると来訪して、掛け金を預ってくれると聞いて……。」
 「納め忘れの掛け金」といえば、国民年金制度発足以来、徴収業務一筋に努力されているこの道十七年の大ベテラン、小実文雄(こじつふみお)専任徴収員の活躍が光っている。
 未納者リストを片手に、納め忘れの加入者宅を、片っぱしからコツコツと訪問を繰り返す。
 「つらいこともあるでしょう?。」
 「もともと、にくまれ役を買って出ていますから、どんなにつらいことがあっても別に感じません。」
 小実流?の返事がハネ返ってきた。それよりも「おかげさまで年金が受けられるようになった」こんな受給者の言葉が心のささえとなっているようだ。

  期待される年金委員の活躍

 年金委員は区長が兼務していたが、口座振替のPR作戦展開中の一月一日付で、町長から正式に委嘱状が伝達され、念願の年金委員の独立が日の目をみた。
 団地も増えていることから、異動状況のは握など、加入者と役場を直結させるパイプ役として、その活躍が期待されている。
 金融機関の口座振替から、戸別徴収は専任徴収員、加入や異動状況は年金委員から役場へ……。筋金入りの年金行政に暖かくつつまれた嵐山町の加入者が、この日も入れ替わり立ち替わり、窓口を訪れていたが、小黒係員の親切な応対を受けて、みな満足そうな笑顔を見せていた。

『さいたま年金だより』52号「ルポ」1977年(昭和52)3月15日
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