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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

オオムラサキの森 町民の力で造ろう
計画策定 夢膨らませる関係者

                     嵐山町・菅谷地区

 県民休養地事業の一つとして県と、比企郡嵐山町、同町民らで進めている「オオムラサキの森づくり」計画が、二十二日までにまとまった。それによると、同町菅谷地区の雑木林一・八ヘクタールを国蝶(ちょう)オオムラサキの生息する森として保全する一方、林内に活動センターや観察林を設け、町民自らが管理運営する計画。この計画は、激減しているオオムラサキの保護に取り組む町民が中心になって策定、県や町の行政機関は、いわばわき役的立場でつくられた点が特徴。このため今回のケースは自然保護運動の新しい在り方として期待されている。

 この計画をまとめたのは、嵐山町立菅谷小学校、同鎌形小学校と両校PTA、学識経験者、住民団体で構成する「オオムラサキの森づくり協議会」(開発欣也会長)。同協議会は昨年秋、宅地化が進む町内にオオムラサキのすむ雑木林を保全、子供たちに身近な自然を残していこうと発足した。
 この計画の狙いは①オオムラサキを中心に多くの生物が共存できる自然環境の維持と回復②自然に親しみ学ぶ場③町民参加の原則−として森づくりをすすめる。森は、県の県民休養地事業として県が買収した同町菅谷地内の雑木林約一・八ヘクタール。
 森の中には、オオムラサキを中心に雑木林の生物の生態などを分かりやすく学べるよう活動センター(仮称)と観察林をつくる。さらに、雑木林の生物を研究しようとする人のために実験林を設け、野外実験場として使える。これらの施設の管理と運営は、町民が行う。
 また、同町内の鎌形、菅谷両小学校には「オオムラサキ観察舎」がすでにつくられ、昨年夏、オオムラサキの羽化に成功。人工飼育したオオムラサキを森に放し、増殖させる準備も整っている。町民が参加した観察会や生息調査も何度か行われ、こうしたなかからも森づくりの協力者も生まれた。
 このため、来春にも具体的な施設建設に着手できる状態で、この計画の完成がまたれていた。菅谷、鎌形両小のPTA関係者は「オオムラサキの観察を通じて親と子が触れあい、自然を見直し思いやりのある心をもてると思う」と夢を膨らましている。
 一方、わき役的立場に回された形の県自然保護課では「自然保護という場合、行政中心に考えられるが、この森づくり計画の主役は町民。新しい自然保護運動のモデルケースになりえるユニークな計画」と期待している。

オオムラサキとは:一年間に二回、三回と世代を繰り返す蝶が多い中で、毎年夏に一回だけ羽化する大型の青紫色に輝く蝶。県内では昭和三十五年(1960)ごろから低地や丘陵で姿を消しはじめ、今では八高線以東の地ではほとんど絶滅してしまった。昭和三十二年(1957)、日本昆虫学会で国蝶に指定された。

『埼玉新聞』1986年(昭和61)4月23日
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