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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

将軍沢ダムの建設を取り止め
社会状勢の変化による

 八月二十七日に開かれた臨時町議会において、関根町長は将軍沢ダムについて報告し、県知事は八月六日書類で却下の申請を農林省に申請した。県からはまだ正式な通知はきていない。と述べたが、これにより昭和三十八年以来、問題となってきた将軍沢ダムの建設は事実上取り止めとなったと判断される。事実、八月七日付け朝日新聞埼玉版は三段ヌキで将軍沢ダム建設断念という見出しでこの問題を大きく取り上げている。一方町議会でもこの日、将軍沢ダム対策特別委員会を解散した。

町長談話を発表

 関根町長は将軍沢ダムの建設が中止になったことについて特に談話を発表し、次のように述べた。
 昭和三十八年以来の、ダム建設ならびに三千町歩余にわたる灌漑事業は、その調査の完了をみずして終止符がうたれた。
 まことに感慨無量なものがある。地元民を始め、関与された皆さん、長い間ご苦労様でした。

町長報告

 八月二十七日の臨時議会に、関根町長は将軍沢ダム問題について次の様な報告を行った。
 将軍沢ダムは最初、比企水利期成同盟として発足、四十一年土地改良法に基づく申請を農林大臣に出し、都幾川沿岸水利事業として農林省の直轄事業となった。四十二年には荒川右岸農業水利開発促進協議会となった。今年の六月下旬、県の農業水利課長を交へて、この協議会の役員は将軍沢ダムの現状について分析し合った。七月上旬には県農林部長、中里市長(東松山)、染谷村長(川島)それに関根町長とで更に検討が加えられた。この時の理事会で将軍沢ダムは断念せざるを得ないという結論になった。七月十六日、知事、副知事、農林部長らに会い、中里会長、染谷副会長、関根町長らは先の理事会の結論を伝えた。その時、知事は止むを得ないという考え方であった。
 荒川右岸開発協議会のだした結論は次のような理由に基づくものである。
 第一は客観状勢の変化によるものである。ダム周辺地域の地価が高騰してきたこと。これは関越高速道路の東松山市までの路線決定明治百年の森林公園の確定、滑川新駅の設置など一連の社会状勢の変化により、開発の気運が波及してきたためである。
 さらには受益地域も農業水利に関する強い要望が変化してきたことである。それ以上に、農業用水、都市用水、工業用水を含めた水資源の確保が強く要求されてきたのである。
 第二はダムの調査の進行が困難であり、早期に解決することができないという見通しである。
 以上の二点から、農林省は結論を急いで出せということだが、早急には出ないので結論として取り下げることにした。
 県では国会議員、その他の関係者に相談と挨拶をして、七月三十日に農林部長が関東農政局に出向いて口頭で取り下げを申しこんだ。
 八月二日には知事が自から農政局に行き口頭で申し入れ、さらに八月六日には知事名で文書により農林省に却下の申請を出した。
 まだ県からは正式な結論の通知はきていない。

議会、特別委員会を解散

 八月二十七日の臨時議会において、山田特別委員長は別項のような特別委員会の報告を行うと共に補償方式が旧態依然としている。地元民を納得させるものがない。現実には住民の意思にそむかなかった点に満足感がある。ダムは終止符を打ったものと判断する。と述べ、高橋議長は将軍沢ダム対策特別委員会を解散する件をはかり全員これを了承した。
 これにより、昭和三十九年に発足した議会の将軍沢ダム特別委員会は消滅した。

将軍沢ダム報告

 将軍沢ダム建設計画は、昭和三七年に比企水利期成同盟会の発想に始まり、昭和三八年県予算にダムの調査費が計上され、三ケ年間県独自の調査が行われ続いて昭和四一年度より国家予算が計上され、これまで七年間国県費投入五千三百余万円を費してその調査が行われた。この間の経過と結果を分析すると次のことが指摘される。
一、建設予定地区住民の理解と協力を得る準備態勢の欠如
イ 調査費計上前に地元住民に何等の啓蒙もなされなかった。
ロ 更生補償計画が立遅れ住民の納得を得るに至らなかった。
ハ 地域開発構想も何等具体的に示し得なかった。
二、社会的客観情勢の変化
イ 都市化の進行
好むと好まざるとにかかわらず首都圏にある嵐山町を取り巻く都市化の波は急速に広がりつつあり、用地は高騰し土地改良法に基く事業としては不適正な地価となった。
ロ 産米増産意欲の減退
政府の米価据置に見られる如く、これからの施策は極度に農民の産米増産意欲を抑えダム建設を希望していた受益者負担金すら徴収が困難視するに至った。
ハ 米作転換の政府施策
米作転換の政府施策はダム建設予定地域農民のまるまる反対の絶好の口実を与える結果となった。
三、行政措置の改善の必要性
ダム建設に限らないが公共事業に犠牲と惨事がつきもの。行政措置は改善の要がある、特にダム建設は技術は進んで来ているが、これと表裏一体で進められべき更生補償の行政措置の立遅れは覆うべくもない。公共事業に「犠牲」の二字は打消す行政措置が望まれる。
四、行政庁えの要望
イ、いかなる事業についても国県は自治体行政を混迷におとし入れる行政展開は厳に謹【慎】むべきである。
ロ、いかなる事業についても国県は予算計上以前において関係地区住民の意志を充分聴取し理解と協力を得られる様措置すべきである。
ハ、特にダム建設については建設技術の先行に見合う更生補償優先の方途を講ずべきである。

『嵐山町報道』198号 1969年(昭和44)9月20日
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