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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

将軍沢ダム対策地区委員会成立 鯨井軍次氏会長に推される

 嵐山町議会ダム調査特別委員会は、長い間ダム問題の調査研究を重ねてきたが、今後の情勢に対処する上から、本年(1968)四月以降会名をダム対策委員会に切替えて、この対策を進めることとなった。
 ダム対策に関する地区の考え方については、それぞれ多少の観点を異にしている向もあったようであるが、議会対策委は四月以降地区一円の対策委員会を組織して対処することを提案要望して今日に至った。
 七月二十三日東昌寺において開催の集会は右の趣旨によって企てられた第一回の会合で、議会特別委の斡旋の結果、正式にダム対策地区委員会が成立され、幹部役員には次の諸氏が互選により決定された。
     会長 鯨井軍次(将軍沢)
     副会長 長島正平(鎌形)
     〃   金井佐中(大蔵)
     〃   小沢正作(根岸)
     〃   福島和一(将軍沢)
 役員決定のあと、会長を中心にダム対策の基本方針、陳情請願等について話合い、左記【下記】について確認した。
 一、生活権確保の面から、ダム建設は絶対反対であること。
 一、請願陳情については、次回対策委員会において詳細に協議して実施すること。

 なお、地区委員会より要望があったので、次に議会ダム調査特別委員会の中間報告を記す。
  報告書
 嵐山町議会は県当局の将軍沢ダム建設構想に呼応して、議会内に将軍沢ダム調査特別委員会を設置し真剣にこの問題を討議研究を続け対処してまいりました。
 発足以来今日に至る調査研究の結果を集約し、特別委員会の中間報告といたします。

1、ダム建設の可能性必要性
 昭和三十八年(1963)県予算に将軍沢ダムの調査費が計上され、三ヶ年間県独自の調査が行われた*1
 続いて昭和四十一年度(1966)より始めて【初めて】国家予算が計上され、昭和四十二年度(1967)は一二〇〇万円の大型調査費の計上となり、本格調査の段階にはいってまいりました。昭和四十三年度(1968)は九〇〇万円の予算要求に対して六〇〇万円の調査費が計上されています。この六〇〇万円の調査費は最終調査のための予算計上であり、四十四年度は実施設計の運びとなり、ダム建設は必至の情況下にあり、将軍沢地区農民の絶対反対の態度とは裏腹に急速にすすめられつつある現況にあります。このような客観的條件を究明してみるに国県としてもこのダム建設を国営事業として推進することは確定的と断定される。このダム建設の必要性は、受益地帯の現状からして農業政策上の観点社会公共性の視点からは、その必要性を認めざるを得ない。

2、関係地主とその現況
 本町関係地主は概ね次のとおりとなる。将軍沢三九名大蔵三一名鎌形三六名根岸一九名その他(町外)となっている。その総面積は一一九、七八五町歩である。(等高線余裕巾一二米、海抜六〇米)これを生活権の上から分析すると将軍沢の地主三九名は予定地域内の農耕地を有し、それにより生活権を確保している者が総てである。その他の地域の地主は山林原野の所有者が多く生活権確保の面から分析する場合これに及ぼす影響は将軍沢部落と大差あることが認められる。この依って立つ基盤の相違からダム建設に対する考え方も大差がある。将軍沢部落の絶対反対の意志は当初より一貫している。他の大蔵根岸鎌形の関係地主は賛否は明言していないが調査は諒承している。この相違は営農上の問題であり、直接生活権の問題と関係することは疑う余地はない。

3、ダム建設の責任の所在
 将軍沢ダム建設の構想は、本町の行政上の問題点としての発想であり得ないことは、町民等しく認めるところでありこの責任は県当局が行財政の両面から全責任をもって対処すべきである。所謂この構想は県の農業政策上の問題点として着眼した埼玉県の米の主産地形成の一環として打出されたものであると解する。この主産地形成の水不足対策の施策であり、国費の調査計上も知事の申請により計上されたものであるので、その責任は県当局にあることは言を俟たない。然しながら県当局は、常に犠牲地区農民の意志を無視し、受益地区農民の側に立った一方的行政姿勢で調査を続けていることは甚だ遺憾であり、問題解決に一歩も前進しておらず、数千万円の調査費の浪費にもなりかねない現状である。
 去る三月五日開催のダム調査特別委員会に要求した県農林部長、関東農政局係官も出席せずその誠意の程が伺われる。県当局の責任は重大である。

4、ダム調査特別委員会の態度と今後の方向
 イ、特別委員会は将軍沢地区農民の意志を尊重する。
 ロ、特別委員会は関係地主と懇談会を開催し意見交換と併せ民心の調査研究を行なう。
 ハ、特別委員会は、民心調査終了後、国、県に対し必要な手段方法により対処の方途を講ずる。(陳情請願等)
 ニ、特別委員会は今後も存続し調査活動を積極的に行なう。
 ホ、将軍沢地区農民と部落との同一歩調の取れるように努力する。
 ヘ、特別委員会は今後の情勢の変化に伴ってはこれを発展的解消し将軍沢ダム対策特別委員会(仮称)を設け、地域住民の権利を守りこれに対処する。
 ト、県農林部長の県議会答弁中に特別委員会誤認の言辞あるは不満であり、正常な行政姿勢であり得ない。
   昭和四十三年(1968)三月十八日
             嵐山町議会将軍沢ダム調査特別委員会 委員長 山田巌

『嵐山町報道』186号 1968年(昭和43)7月30日

*1:1965年(昭和40)3月11日の埼玉県議会での松本幸男県議の質問

 三十七番(松本幸男君) ……(オ)国営のかんがい用水事業として計画している将軍沢ダムについては、すでに一昨年来調査費が計上され、本年度も調査費が計上されているが当該地元の農民は工業開発のための工業用水ではないかという不信をもっているようだが、この点を伺(うかが)いたい。……
  …………
農林部長(伊藤豊夫君) ①将軍沢ダムについては、農業用水事業として推進している。すなわち都幾川筋の四千町歩の水田の用水確保、さらに取水の合理化を目指して現在調査を実行中である。……
『埼玉県議会史』10巻 1983年(昭和58)3月 1023頁、1028頁

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