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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

嵐山町が生まれ変わる
      62年3月完成予定駅東側開発に着手

 比企郡嵐山町に駅東土地区画整理組合(関根昭二理事長)が発足、同事業に着手した。
 東武東上線武蔵嵐山駅東側の地域は住宅開発などで市街化の傾向にある。そのため、駅東の駅前広場を中心に宅地の造成、環境整備をするもので六十二年(1987)三月に完成の予定だ。
 同事業の計画地区は武蔵嵐山駅東側に隣接した面積三十一・四ヘクタール。北側にチサン団地が隣接、西が県道菅谷・寄居線、東が県道深谷・嵐山線に囲まれている。特に隣接するチサン団地の影響を受け、市街化の傾向にあり、人口も増えている。同区画整理は四十年代から検討されていた。
 総事業費は、十七億三千五百万円。二千五百平方メートルの駅前広場、幅十五メートルの(仮称)駅東通り線、同十二メートルの(同)平沢、川島線の都市計画道路のほか、二千平方メートルの(同)地区センター、四カ所の児童公園などが整備される。
 同事業は六十一年度(1986)までの五カ年事業。近い将来、環境が整った“新しい町”に生まれ変わる。

『埼玉新聞』1983年(昭和58)1月5日
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