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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

里づくり文化構想 =その実現の方向と提言=
            文化行政推進委員会の答申

 地方の時代・文化の時代の潮流が、今や県・市町村レベルで全国的に連帯し活発な動きを呈し、行政の重要課題として位置づけられています。
 こうした状況のもとで、埼玉県においては、全国に先がけ、文化行政への取り組みを県政の最重要施策として、各種の施策が実施されています。
 その一環として、埼玉県文化行政モデル市町村推進事業が昭和五十三年(1978)にスタートし、行田・狭山の二市が指定を受け翌年度には、白岡・嵐山の二町が指定され、さらに昭和五十五(1980)年度には横瀬村が指定され、それぞれその地域の独自性を生かした答申がなされました。
 さて、昭和五十四年度に指定を受け答申された「里づくり文化構想」の具体的推進方策をめざし、昭和五十五年度においても第二次の県の指定を受け、同年八月に嵐山町文化行政推進委員会が発足し四回にわたる全体会議と三つの部会にわかれ各部会六回の部会議と二回の文化講演会を開催しました。
 こうした経過のもとに、文化行政推進委員会で「里づくり文化構想=その実現の方向と提言=」が作成され、昭和五十六年(1981)三月二日町長へ答申がなされました。
 報道委員会では前回の「里づくり文化構想」に引き続き、この答申の内容を広く町民の皆さまに知っていただくよう以下三回にわたって紹介します。
  「里づくり文化構想の推進」
 思えば遠し元久の
  昔語りを今さらに
 槻川の瀬の音に聞く
  千古の声は夢の跡
 「ここ嵐山の地は、わたしたちの住む里である」この意識はそのまま「里づくり」の源泉である。この思いはやがて「嵐山を知る」心となり、「嵐山を愛する」情となる。この自然の愛情、しかも泉のように湧き出る自発の心こそ「里づくり」の精神であろう。これを「里づくりボランティア精神」といってもよい。わたしたちがめざす「里づくり」の実現も、結局この心に帰するものではないだろうか。
 嵐山町文化行政推進委員会は、昭和五十四年度の文化行政懇談会のあとを受け、昭和五十五年(1980)八月から五十六(1981)年二月の間に開催された。今回の目的は、前年答申した報告書「里づくり文化構想」の実現方策についての提言であった。
 さて「里づくり文化構想」は嵐山町の未来像である。この像を今後ともさらに鮮明にしつつ、少くとも現に与えられた構想を、全力をあげて実現せねばならない。
 そこで今回の推進委員会では、次のように対処した。まず全体を三つの部会に分け、第一部会は「町民・地域文化を主とする」課題、第二部会は「行政の文化化を主とする」課題、第三部会は「自然・歴史・施設等総合的結合」の課題をそれぞれ審議し、第一章以下にその報告をまとめた。
 ただ、課題の性質上、互いに相違する点もあり、審議の進め方、報告書の様式文体等について不統一な箇所もあるが、ご了承を得たい。
 ——次号から三章にまとめられた内容を順を追って紹介します。——

『嵐山町報道』303号 1982年(昭和57)1月20日

里づくり文化構想(その二)

第一章 第一部会の報告

町民・地域文化を主とする課題

 第一部会は、町民・地域文化等にかかわる「町民文化大学の開催」「町の日の制定と嵐山祭」および「里づくりボランティア活動」の三課題について審議し、次のようにとりまとめた。

一、町民文化大学の開催

 この課題は、「里づくり文化構想」第2章「里づくりへの新たな提言」のなかでとりあげられている。これを「里づくり」のなかでどう位置づけ、嵐山町にふさわしい特色ある講座にするかについてもっとも意をもちいた。その特色として、次の四つの要件をみたすよう配慮した。
 1、目的を明確にする
 この大学講座を「里づくり」のための学習の場として位置づけた。公開講座「里づくり教養コース」などを、設けたのもそのためである。その他の講座も一貫して「里づくり」を志向しているが、もとよりその基礎をなす個人の資質の向上を含むものである。
 2、「嵐山を知る」講座を設ける
 「里づくり」は、「嵐山を知る」ことから始める。この考え方に立って、過去、現在、未来にわたり、町の人文、自然両分野の知識を得る講座を企画し、初年度は歴史講座を設けた。
 なお、これを長期にわたり、記録し集大成すれば「嵐山学」というべき体系をまとめることができる。
 3、新しい嵐山の文化をおこす
 町の古い文化を発掘し、再び盛んにするための講座がもてないかを検討した。さしあたり、かって栄えたといわれる窯業をとりあげ、「焼きもの講座」を設けた。将来は、これに類するもの、または、現代の嵐山町にふさわしい文化を発掘してゆきたい。
 4、町民多数の参加を求める
 目標が「里づくり」にあるため老若男女を問わず、町民多数の参加を期待するので、それに見あう講座を考えた。初年度は健康講座、以後はスポーツ講座、教育問題講座などを考えたい。なお、女性の参加をすすめるため、特に女性講座を企画した。
 最後に「町民文化大学」の開設に当っては、町内各界各層の代表者等十名程度による「町民文化大学運営委員会」を設け、運営に万全を期するよう進言する。

二、町の日の制定と嵐山祭

 1、町の日
 町の日の制定は、前年の報告書で「町の木である梅の木の見直しをおこない、梅の花の咲く頃に町の日を制定する」となっていた。しかし、今回改めて検討した結果、梅にゆかりのある特定の日を設けることは、理論的にも根拠がうすく、むしろ「梅の日」「梅まつり」と名づけてはとの意見が出た。
 一方、四月十五日は、嵐山町の「町村合併」と「町制施行」の二重の記念日にあたり、町の歴史にとって重要な意味があるので、この日を「町の日」に制定するのが適当とする結論となった。
 なお、町の日に嵐山祭を実施すべきだとする意見もあるが、嵐山祭の期日が流動的なので、別個のものとして考えたい。
 2、嵐山祭
 嵐山祭(仮称)の開催については、従来町民の間に、たびたび論議されてきたが、ついに今日まで実現するに至らなかった。しかし町では、以前から重忠祭などの行事があり、これに類する催しを全町的行事として開催することを望む声が根づよいので、次のように嵐山祭の構想をまとめた。
(1)目的
ア 町民が仕事の余暇を共に楽しみ、相互の連帯感を育てる。
イ 嵐山町の名物行事に育て、観光資源として生かす。
(2)性格
 町ぐるみの行事とし、町民全体および各種団体の参加を得て、嵐山町にふさわしい行事とする。
(3)運営
 実施にに当っては、文化団体等の各種組織の代表者による「嵐山祭実行委員会」を組織し、これが実施主体となって運営することが望ましい。
(4)時期
 春または秋の二案が出た。春の場合は重忠祭の期日を繰りあげ、町制施行記念日と合併して実施する。秋の場合は、「文化の日」を中心に三日間程度とする。
(5)会場
 小、中学校、公民館、集会所等の公共施設を活用し、特に駅前道路および国道二五四号線の一部を歩行者天国として会場にあてる。
(6)行事
 第1案は「文化の日」を中心に次の行事等を組み合せたものを、嵐山祭行事とした。第2案は春の場合で、重忠祭と町制施行記念日を合体した案であったが、第一案が有力であった。
ア 文化展(菊花展)
イ 意見発表会
ウ 農産物品評会、即売会
エ 各種芸能大会
オ 獅子舞、嵐山ばやし
カ 嵐山の味「コーナー」餅つき
キ 音楽隊等のパレード
ク 花火大会
 行事については、右【上】記のものが実施可能のものとして考えられるが、さらに参加する諸団体の意向を尊重し関係者の十分な合意を得て、計画実施することが望ましい。
=つづく= 

『嵐山町報道』304号 1982年(昭和57)3月25日

里づくり文化構想(その3)

第一章 第一部会の報告

III 里づくりボランティア活動

 最初に与えられた課題は「コミュニティおよびボランティア活動」であった。しかしコミュニティ活動は「里づくり文化構想」と内容的に重複する面が多いのでここでは課題を一本化し、改めて「里づくりボランティア活動」と名づけて審議した。

コミュニティづくり町民運動推進協議会

 この会は、組織・団体等の代表者で組織され、地域住民の連帯感の醸成を図るため、コミュニティ活動を推進するとしている。これはここでいう「里づくりボランティア活動」の趣旨と一致するのでその活動に期待する。

ボランティア活動

 いわゆるボランティア活動は、個人または個々の組織・団体でそれぞれ自主的に運営され、いずれも大なり、小なり「里づくり」のために貢献している。ここでさらにこの活動を推進するため、次のことを提言する。
(1) 活動の実態調査を行う
 人数の確認・グループの実態活動の状況等の実態調査を行う
(2) ボランティア情報センターを設置する
 情報の収集・資料の提供・相談・人材バンク(登録制)等の機能をもったセンターを設置する。
(3) リーダー養成をすすめる
 組織的・継続的にボランティアリーダーの養成を図る。
(4) グループ化をすすめる
 点(個人)から線(グループ)さらに面(地域)へと、グループ化をはかる。
(5) ボランティア保険制度を検討する

里づくりボランティアの精神

 豊かな「里づくり」は多くは町民自身の強い自発心と、それに基づく奉仕活動によって達成される。この意味では「里づくりボランティア精神」は、あらゆる「里づくり」にたずさわるものすべてが、体得実践すべきものであろう。

第二章 第二部会の報告

行政の文化化を主する課題

 既に昭和五十四(1979)年度における、嵐山町文化行政懇談会の中で述べたように、文化行政とは文化の視点から、行政を見直すためのわたしたちの努力を改めて確認するとともに、町民のための町民による新たなる「里づくり」をめざしつつ、今後の討議をすすめることとした。
 以上の基本的観点に立って、体系的な方向を次の様に定めた。
1 21世紀を展望しつつ、町の未来像を鮮明にしたい。
2 嵐山町の特色を生かした具体的な施策を推進したい。
3 施設をつくることを含めて行政全般に及ぶべきである。
4 地域に視点をあてた施策がなされるべきである。
5 今後の会議は、「自由討議」の形ですすめていきたい。

第二部会に与えられた討議項目

 去る五十四年二月文化行政懇談会によってなされた提言の中で、わたしたち第2部会に対し、五十五年(1980)八月十三日全体会議において与えられた項目は、次の通りである。
 ・情報活動
 ・出版活動
 ・姉妹都市の提携(国内・国外)
 ・健康づくり
 ・広告等の規制
 ・環境整備

 以上の各項目について、今後月一〜二回の部会議をもって、順次討議をなしつつ、部会の結論を得るよう努力することとした。
—つづく— 

『嵐山町報道』305号 1982年(昭和57)4月25日

里づくり文化構想(その4)

第二章 第二部会の報告

町民・地域文化を主とする課題
I 情報活動

 町民に対する情報の提供は、徹底、迅速で親切であらねばならない。とともに住民の手による地域の情報の集積もまた、積極的になされなければならない。

1 町の広報紙「報道」について
(1) 町の「報道」に地域性と新鮮さを加えるために、一つの手段として、「奥さんレポーター」の募集を行い住民の参加をより積極的に求めて町民の〝わたしたちの報道〟としての意識と内容の充実をはかりたい。
(2) ページによって、町による広報記事・レポート・文芸欄とはっきり分けたほうがよい。
(3) 県下の自治体の広報紙として特色ある「嵐山町報道」のあり方は今後も残していきたい。

2 無線放送の設備
 町の農協で既に十数年実施して来た有線放送は、今日まで担ってきた情報活動について高く評価される。しかし現況では対象世帯の比率の低下および施設の老朽化によって、再検討の時期にあるといえよう。
 町はこの現況を踏まえ、新しい見地からなるべくこの対策を講ずべきである。
 以上の立場から次のことを提言したい。
(1) 町役場と町内十数ヵ所の放送塔を設置し、災害時の状況および平時に必要な広報の放送を行うべきである。これについては、県による防災無線の方式が望ましい。また放送の混信については隣接市町村との協定が必要である。
(2) 将来、なるべく早い機会に各家庭に受信機を設置する方向ですすめられるべきである。
(3) 無線放送の設置および放送の実施については、対策委員会を設けるべきである。

3 映画の制作について
(1) ふるさと映画の制作をはかるべきである。
(2) 16ミリカラーとし、25〜30分位のものがよい。
(3) 内容は、嵐山町の自然・歴史・施設を網羅し、さらに文化的行事・体育祭・環境整備の歩み等を含め、町の現況と将来に向かっての意欲あるものにしたい。
(4) 制作の暁には、各地域の集会所、公民館等で上映して町民意識を高めたい。
(5) このためには、映写機等の購入も必要である。

4 町政懇話会について
 町民との対話をすすめるために、町政懇話会を計画的にすすめるべきである。

II 出版活動

 現在、嵐山町史の編さんが進められているが、これを併せて嵐山町の古代から現代に至る通史を編さんすべきである。

1 ビデオの制作
 専門家に依頼して嵐山町の民俗文化を残したい。

2 民話等の集録
(1) 急速に亡びつつある民話・昔話をなるべく早く集録し、テープによって保存したい。
(2) 古い歌もあわせて集録すること。
(3) 以上の集録のための作業については、老人クラブの協力を求める。
(4) 町の歴史資料・民話・歌等はすべて出版すべきである。
(5) 将来、これらのものは町の小、中学校の教材として利用されるのが望ましい。

3 町民カレンダー等の作成
(1) 町の行事および地域の祭、行事等を掲載した町民カレンダーを作成すべきである。
(2) 町民便利帳の作成をすすめる。

『嵐山町報道』306号 1982年(昭和57)5月31日

里づくり文化構想(その5)

第二章 第二部会の報告

行政の文化化を主とする課題
III 広告等の規制

 嵐山町へ一歩足を踏み入れた時この町は何か違うという印象を与えるためにも、広告等の規制は、まず必要である。

1、広告物等の規制について
 町では、昭和54年(1979)2月に「嵐山町広告物規制条例」の試案を作成したが、未だ議会に提出する段階にないので、よく内容を整備して、この条例施行に踏み切ることが望ましいとの結論を得た。

2、この施行に至る方途として
(1) 既に実施中の大宮市等の事例をよく検討すべきである。
(2) 東松山市においては、特に捨て看板の除去等につき市当局・県民センター・警察・東電・電々公社・商工会等の連絡機関を設け、相当の効果を挙げているので当町においてもさらに地域住民の参加も求め、この対策協議の場を持つべきである。
(3) 町民憲章に基づき、環境美化のため積極的に町ぐるみの運動を起こす。
(4) このことは、条例による制約よりも、町民自体の考え方が問題である。よって積極的に住民の参加と合意を得て、条例の施行をはかるべきである。

IV 健康づくり

 健康は、生きがいある生活と文化の向上のための基本的条件である。この意味において町は、積極的にこのための対策を講ずべきである。

1 健康づくりのための基礎づくり

(1) 総合運動公園等の設置
ア 町の適当な場所に、なるべく早く総合運動公園を設置すべきである。
イ この施設は、単なる競技の場ではなく、身体障害者や老人子供等も楽しく利用し得るものであること。
ウ 管理機能として、公民館等社会教育機関の併設が望ましい。
エ 55年度に整備された古里運動場のようなものを各地域に設けること。これには住民の奉仕活動が必要である。
(2) 健康増進センターの設置
ア 現在1名の保健婦を3名とし、センターに常駐して、町民の健康相談、衛生指導に当るべきである。
イ 栄養教室、成人病対策、在宅身障者、老人対策等の事業を積極的に行う。

2 健康づくりのための諸施策

(1) 健康づくりのためグループを各地域に育成し町ぐるみの運動を起こす。
(2) 愛育班の活動を、「母と子の健康」以外にも広げる。
(3) 既存の婦人会も、健康づくりに積極的に参加されたい。
(4) スライドを購入して、保健衛生の面で活用する。
(5) ボランティアによるリーダーの育成をはかるべきである。
(6) 町の長寿者を訪問して、その体験をきき、保健の面で生かす。
(7) 健康ハイキングコースの設置。
(8) 健康は、肉体のみでなく心の健康も大切である。よって精神衛生対策も講ずべきである。
—つづく— 

『嵐山町報道』307号 1982年(昭和57)6月30日

里づくり文化構想(その6)

第二章 第二部会の報告

行政の文化化を主とする課題
V 姉妹都市の提携

1、国外

 既に提言にあるように、中国の曲阜との提携を積極的に推進すること。なお町は、昭和55年(1980)10月16日付けをもって、中日友好協会会長廖承志氏あてに姉妹都市提携のあっせん依頼について、要請書を送付した。
(1) 提携を結ぶための前提として、嵐山町に早急に日中友好協会嵐山支部(仮称)を設立すべきである。

2 国内

(1) 国内における姉妹都市の提携について、その条件として次の点をあげた
ア 相互に提携をはかることにより、文化の向上がなされること
イ 歴史、文化、教育、施設、人口等につき、関連または共通のものがあること
ウ 嵐山町は海に面していないので、なるべく海を持つ町村が望ましい
 以上の点を踏まえ、神奈川県真鶴町外14か町村につき資料を取り寄せて検討した。
(2) 第3回部会議において次の4町村にしぼった。
ア 新潟県寺泊町
イ 新潟県出雲崎町
ウ 千葉県白子町
エ 長野県日義村
(3) 第4回部会議において最終的に、次の2ヵ町村を姉妹都市の候補として希望する。
ア 長野県木曽郡日義村
・人口 約二、六〇〇人
・標高八五〇〜九五〇mの風光明媚な山村である。
・小規模な自治体であるが、観光を中心とした村づくりが整然と行われている。
・嵐山町大字鎌形に産ぶ声をあげた旭将軍木曽義仲公が成人した揺藍【籃】の地であり、また、平家追討の挙兵の拠点となったところである。
・清涼の木曽山地にあって観光資源にも恵まれ、民宿等も多くわが町との交渉をはかる上で成果が期待できる。
イ 新潟県三島郡寺泊町
・人口 約一三、六〇〇人
・佐渡を望む日本海に面し、美しい海岸線は海水浴に好適である。
・聚感園(しゅうかんえん)、順徳天皇御遺跡、弥彦スカイライン等観光資源が豊富である。
・本町との交通は、近い将来、関越高速道・上越新幹線の開通等により至便となる。
・福祉の町として本町と同様に「コロニーにいがた白岩の里」が県立によって設置され母子健康センターもある。
・海をもたない嵐山町の青少年の憧れである美しい海を有し、さらに民宿等の観光施設も豊富で、わが町との交流をすすめる上で大きな希望がもてる。
・歴史上の遺産も本町と同様豊富である。
—つづく— 

『嵐山町報道』308号 1982年(昭和57)7月31日

里づくり文化構想(その7)

第二章 第二部会の報告

行政の文化化を主とする課題
IV【VI】環境整備

 町民が快適な生活を楽しむための環境の整備は、当然自治体行政の基本的要件であり、永久の課題であろう。わたしたちは、町の未来像を求めて必要な提言を行いたい。

1 県民休養地の計画の中にもあるが、提言の拠点の中に一〇〇名〜一五〇名程度収容できる宿泊施設をつくること。
 なお、この施設は単なる宿泊施設でなく次のような文化的施設を付したものとする。
(1) 嵐山町の史跡・歴史を研修する場所の併設。
(2) 原始時代の焼きものをつくり楽しめるための窯を設置する。
(3) 廊下等の壁画を利用した貸画廊の設備を設ける。
(4) 嵐山の味を賞味し、かつ販売できる場所を併設する。
(5) わら細工・竹組工等を実施できる場所を設けて、地元住民との接触をはかる。
2 古い民家を移築または再現し養蚕等の実態をみせるとともに郷土食を賞味できるようにする。なおこの施設は、宿泊施設の近くに併設する。

学校施設の開放を

3 学校施設の開放については、学校教育に支障のない限り他の施設ができるまでの間、運動場、体育館、音楽室等を積極的に開放する。
4 現在計画中の総合運動公園の中に、児童公園も組み入れる。なお実施については子供の意見を取り入れる。
5 各地域に子供が自由に遊べる広場をつくる。
6 美術館については、当面上記宿泊施設の中に併設し、町の個人所蔵の書画・骨とう・古文書等を展示できるようにし、将来は完備した美術館をつくること。
7 町民の健康維持と医療体制の整備をはかるため、総合医療施設の誘致をはかること。
8 休養施設については、町北部にため池、雑木林を生かし、町の木、町の花を植栽して、釣等を楽しめるための施設を設ける。
9 内容の整った町立図書館を設置すべきである。
10 将来、諸施設(結婚式場・演奏会場等)の機能を有した町民会館を設置すべきである。

役場庁舎の検討を

11 役場庁舎については、将来住民サービスにこたえ得るよう移転を含め検討すべきである。
12 本町の市街化区域の整備は遅れているが、早急に推進すること。また滑川村との広域公共下水道の計画をなるべく早く実施されたい。
13 激甚災害(げきじんさいがい)の場合、これに対処できる防災計画を早急に樹立し徹底すること。
14 道路、河川および観光地等に散乱する空缶の対策を講ずべきである。
15 各地域に集会所が整備されつつあるが、老人の憩いの場としてもまた身体障害者も利用できるよう配慮し、全町にわたり設けるべきである。
—つづく*1— 

『嵐山町報道』309号 1982年(昭和57)9月30日

*1:つづきの掲載は無し。

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