嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
5.焼物の技術革新
窯の発明
人が粘土を焼くと固まるという化学変化に気づき、土器を製作して以来1万数千年、大陸での窯の発明はさまざまな面で焼物の歴史の一大転機となりました。現在私たちが使っている陶器と磁器は、どちらも須恵器を基本に発展、進化して生まれたものです。
日本でも、目新しい焼物、須恵器の浸透は急速でした。需要が高まるにつれ、須恵器作りの技術は磨かれていきました。窯の形は、より質の高い製品を大量に生産するべく、工人たちが経験と試行錯誤を積み重ねた、技の結晶ともいえます。
- 将軍沢1A窯実測図
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窯構造を断面により示すと、上から煙り出しと煙道、製品が窯詰めされる焼成部、薪をくべる燃焼部、焼き損じや焼き台、天井や壁を捨てた灰原からなります。窯本体は半地下式の場合、煙出しと煙道そして天井と壁の半分程度は地上部にあります。地上部分は、千年以上の時の経過で失われてしまいました。 - 窖窯(あながま)(鳩山窯跡群古谷支群、鳩山町教育委員会提供)
- 地下式、半地下式がありますが、傾斜による熱の対流を利用する点で古墳時代から現代に至る基本形と言えます。
- 窯の天井部(鳩山窯跡群小谷支群、鳩山町教育委員会提供)
美しい色と形
須恵器は、それまでの土器とは異なる特性を持っています。最も優れているのは、水に強いという点です。土器は焼きが甘いために水が染み込みやすく、長期間水に触れていると脆くなってしまいます。須恵器ではそれがないので、水甕には最適でした。また薄いのに割れにくいのは、日常の食器としては大変ありがたいところです。ただし、直火にかけて使う鍋などの用には向いていません。須恵器の用途は、茶碗や皿、水甕、壷などで、食物の煮炊きには、赤い色をした土師器が用いられています。
美しい色と形の須恵器を焼き上げるための、工人たちの苦労は並み大抵ではなかったようです。大きな窯での焼成は、温度管理が難しいのです。窯の築かれた谷には、焼きはぜたり、歪んでしまったりして使いものにならない須恵器が大量に捨てられていて、その苦労が忍ばれるのです。
- 歪んだ須恵器(将軍沢1A窯跡出土)
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窯跡の調査で出土する須恵器はいずれも、焼き損じて残されていったものか、焼き台など二次的に利用されたものです。焼き歪んだ須恵器は、現在で言えば歩留まりであり、完全な製品を焼くことが簡単ではなかったことを物語っています。 - 鉄鉢(天裏遺跡出土、滑川町教育委員会蔵)
- 口の部分は内側に曲げてつくり、底は尖ったものと平らなものがあります。僧侶が托鉢時に使う容器で現在も同様の形のものが使用されています。
- 鍔付き甑(つばつきこしき)(金平遺跡出土)
- 調理具。外側に一周する鍔が付く甑。現在の蒸し器のようなもので、底には穴があけられています。
- 四耳壺(しじこ)(篩新田出土、ときがわ町教育委員会蔵)
- 外面に四つの突起をつけた壺。あまり出土例がなく、特別なときに使うものです。
- 多嘴壺(たしこ)(高岡廃寺出土、日高市教育委員会提供)
- 中央に1個、周りに5個の長い口を持つ壺です。集落からの出土は殆どなく、仏具と考えられています。
- 陶製仏殿(とうせいぶつでん)(鳩山窯跡群出土、鳩山町教育委員会提供)
- 香炉蓋状製品(こうろふたじょうせいひん)(鳩山窯跡群出土、鳩山町教育委員会蔵)
- 正倉院宝物の塔椀形合子に似る、性格不明の製品です。出土例はなく、まさに謎の須恵器ですが、仏教に関わる製品と考えられるようです。
- 浄瓶(じょうへい)(下山〈しもやま〉遺跡出土、東松山市教育委員会蔵)
- 清浄な水を入れる仏具です。金属製の同じ形をしたものの模倣品です。
- 円面硯(えんめんけん)(天裏〈てんり〉遺跡出土、滑川町教育委員会蔵)
- 円形の硯で、硯部分と脚部からなり、硯部分は中央が出っ張り周囲が凹みます。脚部には、くり抜いた窓や線刻による装飾が施されます。