嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
3.発掘・嵐山の須恵器窯
将軍沢1A窯跡
将軍沢地区には、多数の窯跡が、雑木林に覆われ眠っています。現地を歩き、地表を観察して60か所以上が確認されていますが、実数は大きく上回るものと推測されます。
この窯跡の実態を解明するため、町では1997年にその中の1基を発掘調査しました。窯の構造や施設に工夫、改良をしたこと、焼かれた器の種類、使われた期間・・・1千年余を経て窯跡は静かに語り始めました。
- 排水溝
- 製品を焼くときは湿気を嫌います。水が流れ込まないよう、窯本体を取り囲むように深さ20cm程の溝が巡らされていました。
- 排水溝の土層断面
- 溝の断面の土層から、この溝の裾は木樋を埋め込んだ暗渠だったことがわかりました。
- 窯体部
- 窯の構造は半地下式であることと、製品の窯出し後、窯が最後に放棄された状態が確認されました。窯の内部からは、製品と思われるものは残されておらず、焼き台として使われた甕片、瓦片だけが出土しました。焼き台から、窯詰めの様子がわかりました。また、土層の断面観察により窯の構造などの具体的なデータが得られています。
- 癒着してしまった重ね焼きの坏
- 重ね焼きしたものが焼成温度の関係でくっついてしまいました。この資料では20枚を重ねており、一つの焼き台で何枚重ねていたかがわかる貴重な例です。
- 出土した坏と蓋
- 須恵器は、形や製作技法の違いからその年代を決定することができます。排水溝の下層から出土したこの遺物によって、窯跡は9世紀の半ばごろに操業していたことがわかりました。
- 出土した甕片
- この窯では、生産品目として余り多くの種類は焼いていませんでした。甕は、坏などとともに主力製品の一つです。
- 出土した壺片
- 壺もあまり多くは焼かれていなかったようです。
- 出土した瓦片
- 甕などを安定させる焼き台として再利用されたものです。