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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

4.須恵器のできるまで

 須恵器作りは、粘土や薪の確保から窯の構築、製品作りまで仕事を分担し組織的に行なわれたもので、多くの人手を要しました。ことに、粘土をロクロで形作ることと築いた窯で焼き上げる手法は、それまでの土器とは全く異なるもので、高度な技能を身につけた専門の工人が従事しました。その基本的な技術は、現代の陶磁器にも受け継がれています。
 須恵器作りの詳細については、今だ不明な点もありますが、考古学の研究成果を基に、作業の流れを簡単に紹介します。

1 窯と集落の設営(鳩山窯跡群小谷支群、鳩山町教育委員会提供)
窯と集落|写真 窯場と工房を兼ねた工人の集落です。中央左側が集落、右側が窯場です。窯場までの距離や、製品の品質管理と輸送の便などが勘案されています。
2 窯の構築
谷津の適度な傾斜地に縦に溝を掘り、上を粘土で覆って行き止まりのトンネル状にします。一番奥に煙を逃す煙突を設けます。手前はすぼめて焚き口を作ります。
窯の構築|イラスト 将軍沢1A窯跡 |写真
 将軍沢1A窯跡
3 粘土の採取(鳩山窯跡群広町遺跡の粘土採掘坑群、鳩山町教育委員会提供)
粘土の採取|写真 遺跡から発見される粘土採掘跡を見ると、良質の粘土の層に突き当たるまで地面を掘り下げ、また別の場所にあたりをつけて、という作業を繰り返しているようです。嵐山町と同じく大規模窯跡群を有する鳩山町の調査では、大小の採掘跡が500カ所あまりも見つかっています。
4 燃料の確保
薪|写真 高温で焼き上げる須恵器の窯焚きには膨大な量の薪を消費します。幸い、窯を築いた丘陵には手つかずの森林が広がっていました。木の伐り出しには鉄製の斧などが活躍しました。
5 粘土の成形(イラスト:森井勝利)
粘土の成形|イラスト 製作は竪穴住居内で行なわれました。床にロクロが設置され、一隅には粘土が貯めてありました。住居は作業場がある分、一般よりも広く作られています。
住居跡|写真粘土ブロック|写真
 須恵器工房(こうぼう)の住居跡と素地として練り上げられた粘土ブロック(篩新田遺跡1号住居跡)
ロクロを設置した穴|写真  須恵器工房跡のロクロを設置した穴(篩新田遺跡1号住居跡)
6 素地(きじ)の乾燥
粘土に水分が残っていると、焼いている最中に破裂してしまいます。充分な乾燥が必要です。工人たちの集落では、工房のまわりの空き地に窯入れ前の製品が所狭しと並んでいたかもしれません。
素地の乾燥|イラスト素地の乾燥|写真
乾燥途中の瓦(寄居町末野〈すえの〉遺跡、寄居町教育委員会提供)
乾燥途中の瓦|写真 火事で焼けてしまった住居跡の一角から未焼成の瓦が重なり合って発見されました。
7 窯焚き(板島征男氏提供)
窯焚き|写真 乾燥を終えた素地を窯に詰め、いよいよ火入れです。1100℃前後の高温を保って焼き、最後の工程で窯を塞いで内部の酸素を完全に燃焼しつくし、還元炎焼成します。独特の青みの強い灰色をした焼物はこうして生まれます。
重ね焼きの坏と焼き台(将軍沢1A窯出土)
重ね焼きの坏|写真焼き台|写真
窯本体の傾斜に対し焼かれる製品を水平に置くための焼き台が設置されました。