嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
2.南比企窯跡群
関東で最大の焼き物生産地
嵐山町からときがわ町、鳩山町、東松山市の一部にまたがる地域を南比企丘陵といいます。高さ30〜50メートルの小山が連なる複雑な地形で、比企地方を象徴するふるさとの景観です。ここに築かれた奈良・平安時代の無数の窯を総称して「南比企窯跡群(ようせきぐん)」と呼んでいます。
この地が須恵器作りに選ばれたのには、大きな理由がありました。まず、周辺地域一帯からは焼物に適した良質な粘土が採れました。丘陵には、窯を築くのにちょうどよい、なだらかな斜面があります。窯焚きに必要な薪を十分にまかなえる、広大な森林も控えています。できあがった製品を運搬する輸送路も整っていました。比企丘陵は、様々な条件を満たす、須恵器作りにはうってつけの場所でした。
- 丘陵地形
- 丘陵地の内部は複雑に入り組んだ谷津地形となっています。発達した谷津谷津に数多くの登り窯が築かれました。
- 森林
- 焼き物の生産に欠かすことが出来ない薪の確保は大切な要件でした。丘陵地帯には未だ開発が及ばない手つかずの森林資源がありました。
- 須恵器甕(亀ノ原窯跡群出土、ときがわ町教育委員会蔵)
- 貯蔵に使う大甕も生産されました。
- 奈良時代の須恵器(鳩山窯跡群出土、鳩山町教育委員会蔵)
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生活に欠かすことの出来ない様々な食器類をはじめ硯や漁網の錘なども大量に作られました。 - 比企丘陵の粘土(金平遺跡)
- 南比企丘陵や菅谷・松山台地では、地表下数十cmを覆う関東ローム層のさらに下層に灰白色の良質の粘土層があります。焼き物に欠かすことのできない粘土は比較的手軽に入手することが可能でした。
- 将軍沢1A窯跡
- 将軍沢窯跡群には、70基前後の窯跡が存在すると考えられています。平成9年には窯跡としては初めて町による発掘調査が行われました。窯跡内部からは大量の焼き台が発見され、窯跡の側壁が残っている部分もありました。
- 南比企窯跡群分布図
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数多く築かれた須恵器の窯は、比企地方の南部丘陵地帯に広く展開し、南比企窯跡群と呼ばれています。その範囲は嵐山町の将軍沢地区、鳩山町のほぼ全域、ときがわ町、東松山市の一部へも分布します。その数は正確にはわかりませんが確認されているだけでも300基程度はあり、関東地方でも最大規模であったと考えられます。