嵐山町web博物誌・第7巻【祭りと年中行事編】
2.オクンチ|村の行事,現在の行事,稲作の行事
九月の九日・十九日・二十九日は、一般にミクンチとかサンクニチと呼ばれています。この呼称は三回あるクンチの総称で、個々にお祭りが行われたり、まとめて執行されるところもあります。元来オクンチといえば九日をさし、宮廷や武家の間ではこの日祭事が行われましたが、民間ではそれより少し前にカリアゲの祭りが行われており、その後重陽(ちょうよう)の節句と習合したものと思われます。
嵐山町周辺では、オクンチが新暦の十月中旬というところが多くみられます。志賀では十月十七日がオクンチで、宵待(よいまち)に餅をついてお天道様(てんとうさま)に供えます。この餅の材料は、「お急ぎ米」といって、早刈りした米を用いる習わしでした。宵待には獅子舞や万作が行われ、用番がお籠(こ)もりしたところもあります。遠山では十月十八、十九日がオクンチで、十八日の晩はヤドの家にお籠もりし、ムラじゅう太鼓をたたいて回ったといわれています。広野の八宮神社も十月十八、十九日がオクンチで、稲刈り前の感謝の祭りといわれています。十八日の宵待は、境内に灯籠を立てました。オクンチには団子番が重箱いっぱいに団子を作り、参拝者に配りました。各家では縁側に半紙を敷いて、二重ねの餅をお天道様に供えたといいます。
オクンチが終わると、稲刈りや麦まきの季節を迎えます。
重陽(ちょうよう)の節句
【収穫祭の風景】
九月九日は「九」の重なる日で、重陽の節句といいます。重陽とは、奇数を陽の数、偶数を陰の数とする中国の風習によるもので、極数である九が二つ重なってたいへんめでたい日とされています。一般に、重陽の節句は「菊の節句」と呼ばれ、「菊酒」を飲んだり、栗ご飯を食べたりしました。しかし、新暦に移行後は菊や栗の季節が伴わず、重陽の節句そのものが衰えてしまいました。