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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

COLUMN

5.コラム:石工 歴史の表舞台に立たない職人たち。

石工の記録

 中世の資料の多くは、貴族や武士などの支配階層の記録です。しかし、歴史の表舞台には立たなかった庶民にも信仰心があり、生き生きとした生活があったはずです。
 石塔には、武士などの願主や開眼供養(かいげんくよう)をする僧の名は刻まれている場合がありますが、石工(いしく)の名はめったに刻まれていません。石工とは、産地から石を切り出して製品を作った職人です。嵐山町には見られませんが、石塔や石仏に石工職人の名前を記録したものが、関東にはわずかにあります。
 製作者がわかるものには、群馬県赤城村宮田の不動石仏、栃木県南河内町の東根(ひがしね)供養塔、神奈川県鎌倉市や箱根山とその周辺の石塔などがあります。

石仏を彫る石工たち/国宝
絵巻|写真 『當麻曼茶羅縁起絵巻』(神奈川県鎌倉市光明寺提供)
元久元年の宝塔/栃木県指定文化財
元久元年の宝塔|写真 (南河内町教育委員会提供)
栃木県南河内町東根にあり凝灰岩製です。高さ165cm。1204(元久元)年に小山一族の佐伯伴行夫妻が父母のために造塔したもので、「大工伴宗安」と「小工楊侯行真」という2人の石工の名前が刻まれています。
宮田の不動明王像/国重要文化財
宮田の不動明王像|写真 群馬県赤城村にあり笠懸町天神山の凝灰岩製。高さ166cm 。鎌倉期を代表する石仏です。腰部で上下に分かれた胎内に墨書銘があり、新田一族里見氏である源氏義の発願によって、1251(建長3)年に院隆と院快という仏師が彫ったことがわかります。
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