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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

2.源義賢(みなもとのよしかた)の五輪塔

埼玉県で最も古式な五輪塔。

武蔵国の実力者、義賢

 源義賢は木曽義仲の父で、12世紀中ごろに上野国(こうずけのくに)・武蔵国に勢力を張っていました。義賢は上野国多胡(たご)を本拠地としていましたが、秩父(河越)重隆の養君となり、武蔵国大蔵に迎えられたと伝えています。そして、1155(久寿2)年8月、大蔵館の戦いにおいて、兄義朝の子、悪源太義平に討たれます。
 大蔵館跡に近い新藤正則氏宅の庭先には、源義賢の墓と伝えられる五輪塔があり、地元の方々が大切にまつっています。この石塔の造られた時期は不明ですが、安定感のある形態の特徴から少なくとも鎌倉時代までは溯るとされ、埼玉県でも最も古式な五輪塔です。

源義賢墓の五輪塔/埼玉県指定史跡
源義賢墓の五輪塔|写真 最も古式な鎌倉時代の形で、石材は比企丘陵から産出される凝灰岩です。
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