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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

板碑

板碑は中世の供養塔です。 そこに刻まれた文字からは、中世に生きた人々の生と死に対するさまざまな思いが伝わってきます。

1.もの言わぬ語り部

天上世界に思いを伝えるうつくしい形。

板碑の立つ風景

 町を散策していると、時おり緑色をした石塔をみかけます。将棋の駒を引き延ばしたような形、中央に彫り込まれた絵文字のような不思議な図柄………「板碑」です。
 板碑は中世を代表する祈りの造形です。人々は親や先祖を弔い、亡くなった人たちの魂が無事極楽浄土に昇れるように、そして自分自身にも阿弥陀如来の救いの手がさしのべられるように願ったのにちがいありません。
 板碑は現在の私たちをも厳粛な気持ちにさせるような、端正な姿と深い色合いをしています。極楽浄土は、たおやかな音楽がかなでられ、色とりどりのやわらかい光に満ちた麗(うるわ)しい世界と考えられていました。美しい天上世界に思いを伝えるために、人々はそれに劣らぬ美しいかたちを作り出しました。

板碑の描かれた絵図/国重要文化財
遊行上人縁起絵|写真 『遊行上人縁起絵(ゆぎょうしょうにんえんぎえ)』/常称寺本(広島県尾道市常称寺蔵・高野修氏提供)
半島のように海に突き出た岩場に墓石の五輪塔が並び、その中央にひときわ高く板碑が立てられています。当時の墓所の様子や板碑の扱われ方などを知ることができる貴重な資料です。

中世のもの言わぬ語り部(かたりべ)

 合戦の物語などには多くの武将が登場し、華々しい活躍をします。けれども戦(いくさ)は、特別な出来事です。また、武士たちの生活は大多数の一般民衆に支えられています。こうした当時の人々の普段の様子を伝える記録は意外にも大変少ないのです。
 板碑にはそのわずかな手がかりが残されています。板碑は武士や僧侶だけでなく、村人たちによっても作られました。板碑の下の方には、年月日とその塔を作った人の名前や立てた理由、ありがたい経文の一節などがこまごまと刻み込まれています。飾らない、率直な思いがそこにはあります。日常の生活の一面にすぎないものの、人々の考えや仏教とのかかわり合いを具体的に知ることができるのです。決して雄弁ではありませんが、板碑は中世のもの言わぬ語り部なのです。

慈光寺参道の板碑/埼玉県指定文化財
慈光寺参道の板碑|写真
山上の寺に上る参道の脇に立てられた板碑群です。建立された当初の姿を彷彿とさせる風景をとどめます。2mを超える大形のものが5基あり、端正で優美な典型的な板碑のかたちをみることができます。
向徳寺板碑群/町指定文化財
向徳寺板碑群|写真 墓地と本堂内のものをあわせて38基の板碑があります。鎌倉から南北朝・室町時代にかけてのものです。
千手堂阿弥陀の又の板碑
千手堂阿弥陀の又の板碑|写真 小さな覆い屋をつくって、今も大切に守られています。板碑にちなむ地名はいつごろからのものでしょうか。