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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

COLUMN

5.コラム:様々な板碑

 板碑の大きな特徴は、ほぼ定型化されていることです。それでも、全国一律というわけにはいきません。中には一風変わったかたちのものもみられます。埼玉県内の例を中心に、いくつか紹介します。

欲張りな板碑

 一枚の板石の上端をぎざぎざに切り出し、縦に溝を彫りこんで、二基あるいは三基の板碑が並んでいるようなかたちに仕立てています。下半分に記される銘文は一つなので、複数の人が一緒になって造立したということではなさそうです。

大聖寺六面幢/国重要文化財
大聖寺六面幢|写真 (小川町教育委員会提供)
小川町下里大聖寺にあります。「康永三(1344)年」の銘があり、開山希融以下51人が法華経一千部読踊を行った供養塔です。
平板から立体へ 正法寺六面幢/埼玉県指定史跡
正法寺六面幢|写真 (東松山市教育委員会提供)
東松山市岩殿山正法寺にある、先端に山形のない板碑6基を組み合わせ、上に六角形の蓋石を乗せている板碑です。1582(天正10)年春の彼岸の中日に、正法寺の僧俊誉(しゅんよ)の供養塔として立てられました。蓋石には細い線彫りで竜が描かれています。
二連碑/小川町指定文化財
二連碑|写真 (小川町教育委員会提供)
比企郡小川町大塚大梅寺にあります。「暦応四(1341)年」の銘があります。高さ95cm
三連碑/埼玉県指定文化財
三連碑|写真 (本庄市教育委員会提供)
本庄市児玉町元田にあります。阿弥陀三尊像がそれぞれ個別になるような構成の板碑です。「正嘉二(1258)年」の銘があり、初期の板碑のグループに含まれます。現存する高さは184cm、大形です。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)が彫られた板碑
宝篋印塔が彫られた板碑|写真 (本庄市児玉町鈴木家所蔵・本庄市教育委員会提供)
こちらは阿弥陀如来種子の下に宝篋印塔が浮き彫りにされています。
金泥の塗られた板碑
金泥の塗られた板碑|写真 (埼玉県立嵐山史跡の博物館蔵)
菅谷館跡の発掘調査で出土した阿弥陀一尊種子の板碑です。「享徳二(1453)年」の銘があり、種子と銘文に金泥が塗られています。板碑は本来、着色を行うことが知られていて当時には決してめずらしいことではありません。
五輪塔の描かれた板碑/熊谷市指定文化財
五輪塔の描かれた板碑|写真 (熊谷市常光院蔵)
熊谷市上中条えんま堂にあります。中に五輪塔が線刻されている非常に珍しい例です。
七連碑/埼玉県指定文化財
七連碑|写真 (東秩父村教育委員会提供)
秩父郡東秩父村浄蓮寺境内に立っています。日栄という人の供養塔です。7本の卒塔婆を浮き彫りにし、それぞれ初七日から7日ごとに四十九日(七七日)までの供養の趣旨が刻まれています。裏面に「文禄四(1595)年」とあります。板碑最末期の1つの姿です。
複合板碑/町指定文化財
複合板碑|写真 吉田宗心寺境内にあります。上に阿弥陀如来を梵字で、下には図像を彫り込んでいます。1270(文永7)年に作られました。