嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
五輪塔
五輪塔は、上から空・風・火・水・地の五層からなり、仏教の宇宙観を象徴したものといわれます。戦乱のなかを常に死と隣り合わせに生きた武士たちが、墓石や死者の霊を供養するために造った五輪塔が各地に残されています。
1.武士の墓
畠山重忠主従の墓所。五輪塔群の下から人骨が出土しています。
- 絵巻にみる中世の墓と五輪塔/国宝
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『餓鬼草子』(画像提供:東京国立博物館 http://www.tnm.jp/)
出土した火葬骨
数々の武勇が伝えられる畠山重忠のゆかりの地、深谷市畠山には重忠主従の墓所と伝わる五輪塔群が安置されています。
ここは、13世紀後半から14世紀ごろの墓地の跡で、五輪塔の下には石組が敷かれ、蔵骨器(ぞうこつき)に火葬骨が納められていました。出土した人骨から、この墓地に埋葬(まいそう)されたのが成人だけでなく、若い女性と胎児(たいじ)もいたことがわかっています。また、阿弥陀如来の種子がある「永和3(1377)年」銘の板碑も発見され、死者の霊を供養したものと思われます。
このほかにも深谷市普済寺(ふさいじ)には、鎌倉時代の武蔵武士、岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただすみ)墓と伝えられる五輪塔があります。この塔の内部は空洞になっており、火葬された壮年男性と推測される骨が納められていました。
このように、五輪塔の多くは武士とその一族の墓石や供養塔に用いられました。