嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
COLUMN
6.コラム:ルーツを探る
源義賢墓の五輪塔は、比企丘陵から産出される凝灰岩でつくられています。
比企丘陵の石材
石工たちは、どのような活動をしていたのでしょうか。産地と供給地をつなぐことができれば、その活動が見えてくるはずです。石塔に使われた石材の岩質を調べて、産地を探ってみました。
嵐山町の源義賢墓の五輪塔に用いられた石材は、凝灰岩というやわらかい石です。凝灰岩はとても風化しやすく、数百年の歳月を風雨にさらされているうちに、銘文があったとしても摩滅してしまったのでしょう。この五輪塔には、比企丘陵の北部一帯に広がる七郷層(ななさとそう)に含まれる凝灰岩と同質のものが用いられていました。中世の石切り場はまだ判明していませんが、地元産の石材を使ったことがわかりました。
滑川町では近年まで福田石を掘り出していました。熊谷市と滑川町の境にある高根山(たかねやま)周辺には、近世に切り出した石切り場跡が何ヵ所もあり、さらに古い時代にも掘られていた可能性もあります。