嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
COLUMN
6.コラム:理由(わけ)あって「埼玉」
最古、最大、最多。埼玉県は、さながら板碑の博物館です。でも、これにはわけがあります。謎を解くキーワードは〈緑泥片岩〉。
現存する最も古い板碑は埼玉県熊谷市にあります。その次に古いのも熊谷市です。板碑の原点がこの地域にあったことは、まず、まちがいないでしょう。
ところで、板碑の保有数は、埼玉県が全国一です。日本最大の板碑は、秩父郡長瀞町に立っています。このように板碑の日本一が集中しているのは、ただ埼玉が板碑発祥の地だからというだけではありません。
ほとんどの板碑は「緑泥片岩(りょくでいへんがん)」という青緑色の石で作られています。その色とともに、薄い板状に裂ける性質が大きな特徴です。板碑に加工するには最適の石材といえます。この緑泥片岩の国内有数の産出地が埼玉の長瀞町周辺なのです。
嵐山最古 文応元年(1260年)
- 阿弥陀三尊種子板碑/町指定文化財
-
将軍沢明光寺境内にある板碑です。ダイナミックな書体の阿弥陀三尊種子です。
拡大写真
最大
日本最大 5m37cm
嵐山最大 2m40cm
- 大日題目複合板碑/町指定文化財
-
ちなみに嵐山最大は、吉田日影堂にあります。高さ2m40cmを測ります。1340(暦応3)年に作られました。
拡大写真
緑泥片岩産出地と武蔵型板碑
緑泥片岩は特殊な環境下で次第に変化してできあがった岩石で、産出地が限られますが、中でも最大の産地が、長瀞町から小川町を中心とする荒川上流域の沿岸一帯です。秩父青石、下里石などとも呼ばれ、最近まで採掘されていました。嵐山町でも千手堂付近の槻川沿岸でみられます。
この緑泥片岩を用い、ほぼ定型化した美しく整った形の板碑を「武蔵型」と分類しています。関東、甲信越から北は福島にまでまたがる広い範囲に分布します。