嵐山町web博物誌・第7巻【祭りと年中行事編】
2.男遊び|村の行事
男遊びの一日
町内の各地区では、小字くらいを単位として、三月の半ば頃に、男女がそれぞれ別の日に集まり、一日農作業を休み、飲食や娯楽などに興じるお日待ちが行われていました。これを男遊び・女遊びといいます。男遊びは、大遊びや若い衆遊びとも呼ばれます。この行事は地区の総会を兼ねていて、十七歳になると参加できるものでした。若者や婿入りした人などが紹介され、地域の大人の仲間入りとなります。
宿は、個人の家が持ち回りとなり、当番の人達により各家から米や小豆が集められます。当日は、早朝から餅をついたりうどんを打ったりして、夜遅くまで飲食が続きました。地区によってはこの日に食べるものが違っていて、遠山では「かて飯」や「黄粉カックルミ」という小麦粉の団子を黒砂糖と黄粉で絡めたものが作られました。また、榛名講や大山講の代参を決めるくじ引きが行われたり、余興に丁半博奕(ばくち)をしたりと、賑やかな一日を過ごしました。
勝田の高倉では三月十五日の早朝から皆が集まり、一升ぼた餅を作りました。米七合に小豆三合の割合で作る巨大なぼた餅です。ぼた餅づくりも共同作業で、手渡しのリレー式にご飯を丸め、漉(こ)したあんこを乗せ、お膳に盛りつけていきます。一人で食べきるのに二時間くらいかかったということですが、あんこの甘さにあてられて頭の芯が痛くなってきて、しまいには寒気がするくらいだそうです。食べ切ると物に寄りかかったまま動けなくなることもあったようです。それでも、未だかつて腹をこわした人は一人もいなかったということです。
食べ切る人はそう多くはなかったようですが、余ったものは、学校から帰った子供たちに配られます。子供たちにとっても楽しみだったそうです。食べ切れた人には、お重ねという少し小さいぼた餅が用意されます。
こうした行事は、農家の主人が勤めに出るようになると次第に行われなくなってしまい、高倉の一升ぼた餅も、昭和五十四年に再現したのが最後ということです。