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嵐山町web博物誌・第7巻【祭りと年中行事編】

第5節:夏祭り

比企の里祭囃子の風に乗る 石黒知恵子

 蝉時雨(せみしぐれ)が一段と強まる頃、心待ちにしていた夏祭りが始まります。お囃子(はやし)の軽快な響きに胸が躍ります。神輿(みこし)を担ぐ若衆の威勢の良いかけ声が、暑さも吹き飛ばしてくれました。
 楽しい夏祭りが、本来は疫病(えきびょう)よけや雨乞いのための大事な神事であったことは、今ではすっかり忘れられてしまっています。でも、私たちはみな、祭りが大好きです。なぜか血が騒ぐような気がするのです。永い歴史と風土に培われた、日本人の血が。
 笛と鉦(かね)の音がだんだん近づいてきました!豆絞りを手に、思わず家を飛び出します。

1.各地の天王様 〜菅谷・大蔵〜|村の行事,現在の行事

 天王様の祭りは京都の祇園祭(ぎおんまつ)りとの関わりもある代表的な夏祭りであり、嵐山町でも各地区で行われています。天王様の祭りの目的は、この時期に流行る疫病(えきびょう)にかからないようにするためです。
 神輿(みこし)が出るのは、菅谷、川島、大蔵、古里であり、菅谷や古里では囃子(はやし)も行われ賑やかな祭りになっています。平沢でも近年子ども神輿を作り担いでいます。志賀でも神輿があったといいますが、現在では花を作って御仮屋(おかりや)に飾ります。太郎丸では灯籠(とうろう)を飾ったりします。
 他の地区でも天王様の祭りが行われ、その地域の人は疫病にかからないように参詣します。
 それぞれの家では、小麦まんじゅうを作り、縁側にその時期収穫出来るものと共に供えたりします。

菅谷

大人神輿|写真
大人の神輿は威勢よく担がれ、地区内を回ります。

 菅谷神社の境内にある津島神社(つしまじんじゃ)の祭りは天王様といわれ、以前は七月十三日、十四日でしたが、現在はこれに近い日曜日です。以前は御仮屋(おかりや)を作り神輿を安置しました。お囃子の練習は七月一日から始めました。現在では一週間ほどまえから練習します。大人の神輿を以前は激しくもみました。現在は、子どもの神輿も出ます。以前は、木枠の灯籠が各家に配られ、それぞれの家では絵をかいた紙を貼り火をともし飾りました。ここの天王様は「雨っぷり天王様」ともいわれ、雨の少ない年には「早く菅谷の天王様やんねえかな」といったりしたそうです。各家では小麦まんじゅうを作りお祝いします。

屋台を引く子どもたち|写真 大勢の子どもたちが祭り囃子が演奏される屋台を引きます。

祭り囃子の演奏|写真 子どもたちが中心に祭り囃子の演奏を行います。

菅谷神社境内|写真 菅谷神社境内は多くの露店が出て、大勢の参詣者で賑います。

津島神社|写真 祭りには、菅谷神社境内の津島神社にお参りします。

地区内を巡る|写真 高張り提灯を先頭に地区内を巡ります。

大蔵

若い衆の神輿|写真
若い衆は村内を巡る途中の道路上で神輿を激しくもみます。

 大蔵の鎮守である大蔵神社の末社の八坂神社の祭りは、以前は、七月十四、十五日の二日間にわたり行われました。雄獅子と雌獅子の獅子頭(ししがしら)を大人が持ち、子どもたちは後の布につかまり、「ワッショイ、ワッショイ」といいながら一軒一軒回りました。現在獅子頭は社殿に飾るだけです。ここの神輿は暴れ神輿としてよく知られており、学校橋付近の都幾川に入って威勢よくもんだりもしました。若い衆が担ぐ神輿は今でも村内を巡って歩きます。現在は、子ども神輿も一緒に巡って歩きます。御幣(ごへい)を持つ先払い、法螺貝(ほらがい)を吹く人も一緒に回ります。途中数箇所で休みながら村内を巡り悪病を払います。

提灯役と神輿|写真 「大蔵」と書かれた提灯(ちょうちん)を持った人たちが神輿と同行します。

社殿に安置された獅子頭|写真 社殿に安置された獅子頭。以前は、この獅子頭を持って村内一軒一軒悪病を払いました。

大蔵神社|写真 大蔵神社、境内の末社にさまざまな絵がかかれた灯籠。

提灯を吊るしたマタギ|写真 大蔵神社入口に提灯を吊るしたマタギをたてます。

祭り参加者|写真 祭りには、小さな子どもから、小中学生、若者、お年寄りまで参加して行われます。

万灯|写真 境内には、2基の万灯(まんどう)が立てられます。万灯の先には、太陽と月がついて、太陽も月も、舟にのっています。