嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
3.仕事とくらしのようす
中世職人の息吹が聴こえるタイムカプセル。
分かれていた三つの区域
金平遺跡では鋳物をつくった工場の跡だけでなく、鋳物師たちが暮らした日々の生活の跡も発見されました。広い範囲での調査によって鋳物師たちのムラは、鋳物工場と日常生活のくらしの場と、ムラのはずれに土坑が散らばってつくられた場所の三つの区域にはっきりと分かれていたことがわかりました。金平遺跡は、鋳物師という特殊な人々の生活全体が見渡せるまさに中世のタイムカプセルだったのです。
鋳物工場跡 工房区域
鋳物工場は、三方を小さな谷に囲まれたなだらかな丘を整地して工房区域としています。その中に建物・作業場・溶解炉・鋳込み場(鋳造土坑)・粘土採掘場・水場・排滓場などがありました。地形を巧みに利用して狭い範囲のなかに施設を効率的でコンパクトに配置しています。
鋳物工場の管理棟と作業場
鋳物工場跡の中央部、鋳込み場と粘土採掘場に挟まれた部分に掘立柱建物跡と竪穴状遺構が見つかっています。掘立柱建物跡は柱穴が二列に並び2.4×4.5メートルの小規模な建物が想定できます。竪穴状遺構は3.5×3メートル程のほぼ正方形で40センチほど地面が掘込まれ、半地下式の建物を想定することができます。工房区域なのでどちらも住居とは考えられません。掘立柱建物跡は全体を見渡せる場所にあるので、この工場の中心的施設(たとえば管理棟)、竪穴状遺構は仏像の鋳型や銅塊・銅滓が多く出土していることから小形の銅製品の製作に関する作業場であったと考えられます。
- 鋳物工場跡(工房区域)全景写真
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右上が丘陵斜面上部で三方が小さな谷に囲まれた狭い範囲につくられている様子がわかります。 - 掘立柱建物跡
- 小規模で簡易な建物ですが、工場の中心的な場所であったと考えられます。
- 竪穴状遺構
- 半地下式の建物で、仏像など小形の銅製品の鋳型の製作・鋳込みなどを行った作業場だと考えられます。
- 溶解炉下部構造石敷きと石敷き下の粘土・砂質土の充填状況
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防湿・保温のためにこのような土台がつくられました。 - 溶解炉炉底部破片
- 粘土でつくられた溶解炉は溶解のたびに高温で侵食されるため、数回補修をしているものもみられ、表面には鉱滓が厚く付着しています。
- 鋳造土坑(13号土坑)
- 粘土面の白い床に掛け木の跡が2本見えます。この土坑からは梵鐘や湯釜などの大型品の鋳型が出土しています。
- 鋳造土坑の掛け木痕
- 中央に2本並んで見える細い溝が掛け木です。ここに丸太を敷き、その上に鋳型を設置してその上にも丸太を掛け、上下で鋳型を締め付けました。
鉄や銅を溶かした溶解炉とその土台
鋳物工場のほぼ中央には熔解炉がありました。鉄や銅を溶かすには千数百度の高温が必要です。この遺構を調べると防湿や炉内温度を下げないための工夫がされています。溶解炉の下は浅く穴を掘って粘土や砂質土が満たされ、その上に平らな石を敷き詰めています。これが防湿・保温・炉の支えとなっています。溶解炉本体は取り壊され全体が復元できるようなものではありませんが、炉の周囲やゴミ捨て場などから溶解炉の破片が大量に出土しています。
鋳造土坑(鋳込〔いこ〕み土坑)
梵鐘や湯釜などの大形品の鋳込みは、鋳型が高くなるので地下に掘りこまれた穴(土坑)に鋳型を設置する方法が用いられました。これを鋳造土坑と呼びます。これにより低い位置から高温で大量の溶けた鉄や銅を流し込むことができ、安全で迅速に作業が進められます。鋳物工場の中央部にほぼ一列に並んで七基の鋳造土坑が見つかっています。土坑の底には鋳込みのときにずれないように鋳型をしっかりとしめつける掛け木の丸太を敷いた跡も残っていました。
鋳物工場のそのほかの遺構
鋳造工場跡にはこのほかにも作業に必要な施設のあとが見つかっています。工場跡の西側の広い範囲には、粘土の採掘跡がありました。粘土は鋳型や炉をつくるための材料です。こうした作業に必要な水は、工房区域の北東側の小谷に設けられた水場から供給されました。また、鋳造だけでなく小鍛冶(こかじ)を行っていた炉跡や小谷を利用したゴミ捨てなどもありました。このほか、資材置場や鋳型をつくったり乾燥する場所もあったはずですが、それらの遺構ははっきりしませんでした。
- 粘土を掘る
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鋳造には溶解炉や鋳型の材料として良質の粘土が大量に求められました。粘土の質は鉄や銅の出来具合に影響を与えますが、金平遺跡には地表面から数10cmのところで良質の粘土層が広がっており、こうしたことも工房の選地に大きく影響を与えたと考えられます。 - 粘土採掘跡兼廃棄土坑
- 粘土を採取するために掘られた土坑は粘土採取後にゴミ穴として利用されています。
- 溝と水場
- 工房区域の北東側には、小谷の水を引き込んだ水場と思われる施設が見つかっています。鋳物工場では鋳型の製作など、水を必要とする作業も多く、金平遺跡は容易に水を利用できるという点でも理想的な立地でした。
- 小鍛冶炉
- 鋳造のための鉄製工具の製作や補修のために小鍛冶(鍛造〈たんぞう〉)も行われていました。こうしたことにより、鋳物師たちが鋳造の技術だけでなく、鍛造の技術もあわせ持っていたことがわかります。
日々の暮らし 〜居住区域〜
工房区域からややはなれた場所に50×50メートル程の範囲に掘立柱建物跡や土坑、井戸、たくさんの小柱穴が見つかっています。これらは鋳物工場で働く人々や家族が日常の生活を営む区域と考えられます。
- 掘立柱建物跡
- 居住区域の北端で検出された2間×4間で南側に廂を持ちます。はっきりとした鋳物師の住まいはこの1棟だけです。ほかにも多くの小柱穴があり、簡易な小屋や塀などの施設があったと思われますが鋳物師たちの人数はそれほど多くはなかったと考えられます。
- 井戸
- 居住区域の北端に1ヵ所見つかりました。深さは1.5mと浅いものですが、粘土層に掘込まれているため水がたまりやすく生活用水と思われます。 発掘調査により鋳物師たちがこの地を離れるときに埋めたものとわかりました。
- 土坑
- 居住区域でも1mほどの大きさで深さ数10cmほどの土坑と呼ばれる穴が数ヵ所検出されました。なかには、わざわざ数10mも運ばれてきた熔解炉の破片の入っていたものもあります。単なる穴ではなく特別な目的があったと思われますが、用途は詳らかではありません。
むらのはずれに 〜墓域〜
工房区域や居住区域から北に約
70メートルほど離れたところにムラの境界を示す溝があり、その内側に土坑が六ヵ所ほど散らばっています。その中からは常滑焼の甕・鋳型・熔解炉の破片や鉱滓が少量出土しました。なかでも常滑焼は工房区域のものと接合する破片があります。
土坑の用途ははっきりとわかってはいませんが、鋳造に関係する品物などをわざわざいっしょに埋めているのを見ると、鋳物工場で働いていた人々のお墓だったとも考えられます。