嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
武士の住まい 山根遺跡
出土した数多くの古銭、自然釉が美しい丹波焼の壷……。
小倉城との深い関わりをうかがわせながらも、山根遺跡は謎に満ちています。
1.謎の山根遺跡
埋められていた一万五千枚の古銭と丹波焼。
四〇〇年あまり眠り続けた一万五千枚の古銭
四方を山々に囲まれ、中世の趣を今にのこす遠山。陰(いん)の城といわれるときがわ町小倉(おぐら)城跡を眼前に見上げる盆地に位置する山根遺跡。遺跡からは、中国からの輸入銭(渡来銭)が三ヵ所の穴から大量に発見されました。また、この地方では当時流通していなかった珍しい丹波焼の壷も出土しています。部分的発掘調査であったにもかかわらず、こうした特殊な遺物が出土したことは山根遺跡が武士の住まいであることをうかがわせ、小倉城との深い関連が予想されます。しかし、こうした事実は記録には残されておらず、謎の多い遺跡です。
遠山氏と小倉城
小倉城の城主であった遠山(とおやま)氏は後北条氏の三家老をつとめた家臣で、のちの「遠山の金さん」のご先祖にもあたり、大字遠山の字名にもなっています。ちなみに遠山寺(えんざんじ)も遠山氏により開かれた寺院です。小倉城は北は遠山の盆地、南は小倉(ときがわ町)の盆地に面し、槻川が裾を流れる丘陵の断崖上に築かれた山城です。周囲は高い山々にとり囲まれていることから、攻め込んだ敵から気付かれにくい陰(いん)の城といわれていました。戦略的には菅谷城から槻川を遡り青山城(割谷〈わりや〉城)を経て、小川町・東秩父村方面へ抜けるルートを押さえる重要な位置を占めていたと考えられています。山根遺跡はこの小倉城の真下にあたります。