嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
4.縄文人の一生
石棒
- 出産光景が描かれた土器(井戸尻考古館提供)
- 長野県唐渡宮遺跡出土。中期。大きな土器の下部に中腰になった人物像が描かれています。
- 出産土偶(藤岡町教育委員会提供)
- 栃木県藤岡町藤岡神社遺跡出土。後期。生まれ出ようとする赤ちゃんが顔を出しています。
- 子を抱く土偶(国立歴史民俗博物館所蔵)
- 東京都宮田遺跡出土。中期。現存高は7.1cmです。
縄文人の寿命
縄文人たちの一生はずいぶんと短く思えますが、40年も生きられるのはとても運の良い、幸せなことでした。おそらく生まれた子の半数近くが幼いうちに死亡したと考えられています。
縄文人骨の死亡年齢を調べると、最も多いのは20才〜30才台前半で、60才以上はほとんど見られません。女性の場合は、10代後半から20才台での死がたいへん多く、出産に伴って命を落したことが推測できるのです。
土偶
- 人類の寿命(鈴木公雄1988より作成)
- 旧石器時代から現代日本人までの寿命を比較したグラフです。江戸時代までは30歳代で、明治時代でも40歳代前半です。寿命が50歳を越すのは戦後の昭和20年代以降になってからです。
- 手形(左)・足形(右)土版
(重要文化財、青森県埋蔵文化財センター提供) - 青森県大石平(おおいしたい)遺跡出土。後期。手形は8.5cmと小さい幼児のもので、無事の成長を願ったようです。
- 妙音寺(みょうおんじ)遺跡出土人骨
(傍島利浩氏撮影、県立埋蔵文化財センター提供) - 壮年の男性です。推定される身長は153cmで、きわめて小柄ですが平均的な縄文人の身長です。
- 妙音寺遺跡出土人骨の歯
(県立埋蔵文化財センター提供) - 歯は、歯冠が半分になるほど激しくすり減っていました。硬い食物を食べていただけでなく、歯を道具としても使っていたようです。
- 伊川津(いかわづ)貝塚人骨の抜歯
(東京大学総合研究博物館提供) - 抜歯の風習は、後期〜晩期に多く見られます。犬歯と門歯が多く、成人、結婚などの通過儀礼にともなって行われたようです。
縄文人のお墓
家族や仲間の死を悼む気持ちは、今も縄文時代も変わりはありません。埋葬は、穴を掘っての土葬が基本です。ムラによって墓地が決まっています。墓の上には、墓標のように石を立てたり、並べたりすることもありました。
死者の多くは、手足をちぢめた、まるで眠っているような姿勢で埋葬されています。耳飾りやペンダントなどを身につけて旅立つ者もいます。おそらく食べ物を入れたであろう、小さな土器が添えられていることもあります。また、大きくて平たい石を抱きかかえていたり、土器を頭に被せられていたりする者もいて、何か、まじないのような儀式が行われたこともあったようです。
子供はとくに手厚く埋葬されました。甕を棺にして納め、時には住居の床下に埋められていた例もあります。愛しい我が子を失った親の気持ちが察せられます。
- 行司免遺跡の土壙墓
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中期加曽利E期の墓です。1.3m×1mの楕円形で、深さ0.4mです。立石状の大形礫2個と伏甕1個体が出土しました。発見された数少ないお墓のひとつです。住居の数に比べてお墓が少ないのは、廃絶住居の窪地などに埋葬する廃屋墓が一般的だったからとも考えられます。 - 皆野町妙音寺遺跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 早期から中期の土器、石器とともに人骨や獣骨、魚骨などが出土しました。
- 皆野町妙音寺洞窟の人骨出土状況(県立埋蔵文化財センター提供)
- 秩父市妙音寺洞窟から、早期の人骨1体が検出されました。人骨は手足を曲げた屈葬の姿勢で出土し、ほぼ全身の骨が残っていました。
- 入間市坂東山遺跡甕棺墓(県立埋蔵文化財センター提供)
- 甕棺は口径43cm、高さ71.5cm、後期称名寺式の大型深鉢形土器です。肉が朽ちた人骨を拾い集め、改めて甕に納めて埋め直しています。熟年期の頑丈な男性です。
- 富士見市水子貝塚人骨出土状況復元展示(富士見市立資料館提供)
- 前期黒浜式期の15号住居跡の貝層下部から人骨が検出されました。人骨は、頭を入口に向けて、手足を曲げた屈葬の姿勢で出土しました。壮年の女性です。短頭型で、推定身長は146.3cmです。