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嵐山町web博物誌・第3巻【地質編】

第3節:海が広がった時代

2.海が深くなっていった時代

荒川層の分布|地図
荒川層の分布
小園層の時代に広がった浅い海は1600万年前頃からの荒川層の時代になると深くなり、有孔虫化石や貝化石から考えて、外洋水の影響を受けるようになったと思われます。

ちょうどこの時期は今の関東山地の隆起が激しくなった時代で、荒川層には関東山地をつくっている結晶片岩やその他の岩石の礫が含まれています。

そして1500万年前頃の福田層の時代になると、堆積環境は水深数百mのやや深い海へと移って行ったと思われます。

荒川層の砂岩泥岩互層(さがんでいがんごそう)
荒川層の砂岩泥岩互層|写真 A 越畑 串引(おっぱた くしびき)付近の露頭です。互層とは、異なる岩質の層が交互に重なり合っている地層のことです。
草かき鎌の右上の黄色っぽい地層は厚い砂岩です。この砂岩の左下の地層はほとんど泥岩で、所々に薄い砂岩がはさまれています。
荒川層下部の露頭写真(貝化石産地)
荒川層下部の露頭1|写真荒川層下部の露頭2|写真
荒川河床の荒川層下部の露頭では、礫岩、凝灰岩、砂岩などの巨大な(長径4〜40m)岩塊が見られ、この時代の関東山地の急速な隆起がうかがえます。
岩塊の中や岩塊の間を埋める砂岩には多くの貝化石が含まれています。

深い海の堆積物と化石

荒川層は「1.亜熱帯の海の生物たち」で述べた小園層の上に整合*1で重なり、小園層より少し時代が新しい地層です。
主に砂岩泥岩互層からなり、いくつかの礫岩層や凝灰岩(越畑石もそのひとつ)層を挟んでいます。花園橋周辺の荒川河岸や河床によく露出しています。
嵐山町では越畑、杉山、平沢、吉田、花見台の丘陵地帯に分布します。

*1:整合(せいごう)…地層同士が連続的に堆積している状態

荒川層下部には泥岩層が破壊されてできた泥岩礫岩層があります。さらに礫岩、凝灰岩、砂岩などの巨大な(長径4〜40m)岩塊が泥岩礫岩層とともに多く見られます。

これらの地層は、浅い海底に堆積したものが海底地すべりによって深い所まで移動してできたものです。したがって、荒川層が堆積した時代の初期に、海は急速に深くなり、海底に急斜面ができていたと推定されます。

また、この層の岩塊の中やその間の砂岩には、多くの貝化石が含まれています。貝化石の多くは沖合の深い海の底に棲む種類ですが、浅い海に棲む種類も少し含まれています。
この浅い海に棲む種類は、海底地すべりによって浅い場所から運び込まれたと考えられています。

ここで、荒川層から採集された貝化石を紹介します。

深い海に棲む貝類

※1目盛=1mm

浅海から運ばれた貝類

※1目盛=1mm

スランプ褶曲(しゅうきょく)

荒川層の分布|地図
荒川層の分布
荒川層は砂岩泥岩互層を主とした地層で、礫岩・凝灰岩を挟んでいます。荒川層の互層は、しばしばスランプ褶曲(しゅうきょく)といわれる特殊な褶曲をしています。

一般的に、褶曲構造は地層が堆積した後に外から力を受けて地層が曲がるため、地層全体が変形します。ところがスランプ褶曲は上下の地層が褶曲していないにもかかわらず、挟まれた地層だけが褶曲しているのです。

この褶曲は、地震などをきっかけに未固結の堆積物が海底地すべりの流下時に折れ曲がったと考えられます。
スランプ褶曲は、堆積盆地の片側が上昇し、堆積盆地の中心部が相対的に沈降するときにできやすく、荒川層のスランプ褶曲を観察すると、当時は西側の関東山地側が隆起していたと思われます。

荒川層に見られるスランプ褶曲(杉山)
スランプ褶曲の崖|写真 B 杉山の下城ヶ谷戸の道沿いの崖に見られる「スランプ褶曲」の写真です。次の図はこの崖のスケッチ。
こうしたスランプ褶曲などは、関東山地がこの当時隆起していたことを物語る地質現象なのです。
スランプ褶曲のスケッチ
スランプ褶曲|スケッチ
COLUMN

スランプ褶曲のでき方


  1. 大陸棚の浅い海に陸から運ばれてきた礫、砂、泥などの堆積物が堆積しています。
    これらの地層はまだ固まっておらず、軟らかい状態です。

    スランプ褶曲のでき方|図1
  2. 地震により、まだ固まっていない堆積物が海底地すべりを起こし、陸棚斜面を流下していきます。
    スランプ褶曲のでき方|図2
  3. 海底地すべりで褶曲した地層が海底に定着し、上に新しく砂礫や泥が積もっていきます。
    このようにして、上下の地層は褶曲していないのに、間の層のみ褶曲している「スランプ褶曲」ができ上がります。
    スランプ褶曲は層内褶曲ともいわれています。

    スランプ褶曲のでき方|図3

関東山地の隆起

また、荒川層に挟まれる礫岩は巨礫から細礫まで非常に淘汰が悪く(粒径が不揃いで)、しかも角礫で構成されています。
これは、当時の礫の供給源の地域が急速に隆起したことを物語っています。

礫種は結晶片岩が多く、このことから考えて、荒川層堆積当時、三波川結晶片岩からなる関東山地が急速に隆起したと推定されます。
結晶片岩は風化作用に非常に弱く、川などで運ばれるうち風化して粘土に変わってしまうのですが、荒川層の砂岩の砂粒の中には結晶片岩の砂粒が大量に見られます。
このことも関東山地の急速な隆起と関連しているといえるでしょう。

なお、荒川層から見つかる化石の種類から、当時は外洋水の影響を受ける深い海だったということがわかっています。
荒川層の分布を見ると、七郷層・畠山層の分布が奈良梨断層の北側に限られているのに対して、荒川層は奈良梨断層の南側まで分布しています。
これらのことから、荒川層堆積当時は海が広がり、海が深くなっていったことがわかります。

荒川層の礫岩1(越畑串引)
荒川層の礫岩|写真1 A 礫岩の礫の大半は、角礫(角が尖った礫)で占められており、近くの関東山地から礫が供給されたと思われます。
荒川層の礫岩2(越畑串引)
荒川層の礫岩|写真2 A 白い礫は結晶片岩礫で、絹雲母片岩(きぬうんもへんがん)です。
荒川層の砂岩(越畑串引)
荒川層の砂岩|写真 A 砂岩には、三波川結晶片岩起源の緑泥石片岩などの破片が含まれており、日に当てるとキラキラと光ります。
第3節:海が広がった時代