嵐山町web博物誌・第3巻「嵐山ジオロジア」
4.サメの棲む海
岩殿丘陵をつくる岩殿層
岩殿丘陵周辺マップ
岩殿丘陵(いわどのきゅうりょう)は主に岩殿層からなり、下部は礫岩や砂岩層、中部〜上部は泥質砂岩層、砂質泥岩層からなります。
この地層はおよそ1500万年前〜1200万年前の海底に堆積したものです。また、多くの凝灰岩層(火山灰層)がはさまれており、全体に火山灰が混ざっているため、この地層が堆積した時代には、近くで火山活動が盛んであったと推定されます。
しかし現在、当時の火山は残っていないため、その位置までは特定できません。
サメの海〜岩殿層下部〜
地質年表
約1500万年前に堆積した岩殿層下部は神戸礫岩部層(ごうどれきがんぶそう)と名付けられています。
ここからは貝化石やサメの歯をはじめ、大型有孔虫ネフロレピデイナ、腕足類、ウニ、魚類の歯や鱗、アザラシ類の骨、パレオパラドキシアの歯、石灰藻など、様々な化石が発見されています。
これらの産出化石から総合的に考えて、この海は陸地に近い外洋だったと思われます。
岩殿丘陵周辺マップ
以前、東松山市の葛袋(くずぶくろ)では岩殿層下部(神戸礫岩部層)が露出しており、大量の化石がでました。
サメの歯が採集できることで有名でしたが、現在は埋められ、化石採集はできません。
嵐山町在住の関根浩史さんは、当時葛袋にしばしば通い、サメの歯をはじめ大量の化石を採集されました。
ここで、関根さんのご好意により、そのコレクションの一部を紹介します。
- サメの歯の化石(関根浩史氏所蔵)
写真1
写真2
葛袋の岩殿最下部(神戸礫岩部層)から採集されたサメの歯の化石(写真1、2)
写真2は、母岩とサメの歯化石。母岩は礫岩で、サメの歯も礫とともに堆積したことがわかります。波の荒い所に堆積したため、サメの歯は根元の部分が失われています。
メガロドンの化石
嵐山産出の巨大ザメの歯の化石
岩殿層下部の神戸礫岩部層(ごうどれきがんぶそう)は、サメの歯の化石を多く産出します。中でも、メガロドンと呼ばれる10数メートルにもおよぶ大昔の巨大ザメの歯は有名です。
「サメは歯ばかりで本体の化石は?」と思うのではないでしょうか。実は、サメの骨は軟骨のため化石になりにくいのです。また、サメの歯は一生の間に何度も生え替わり、たくさんの歯が抜け落ちます。そのため、1個1個の歯が単独で化石になることが多いのです。
上の写真は嵐山町鎌形の木曽園橋(きそぞのばし)近くで工事の際に発掘されたメガロドンの歯の化石です。この博物誌「ジオロジア」のシンボル・イメージ(右画像)にもなっています。
メガロドンの学名
メガロドンの学名は、Carcharocles megalodon(カルカロクレス・メガロドン)。
旧来は、Carcharodon megalodon(カルカロドン・メガロドン)と呼んでいたので、この方が通りが良いかもしれません。
以前は、現生のホオジロザメに近いとする考え方が主流だったため、「ホオジロザメ属」を意味する Carcharodon(カルカロドン)が使われていました。
それゆえ、和名はムカシオオホウジロザメ(昔大頬白鮫)とつけられています。
現在では「ホオジロザメ属」ではなく「カルカロクレス属」の仲間だと考えられるようになったため、学名に Carcharocles が使われています。
ウニや貝の棲む暖かい海〜岩殿層中・上部〜
地質年表
岩殿層中・上部の砂岩層や泥岩層が堆積した時代は、下部層堆積の時代とは海の環境は大きく変わりました。
貝化石の種類から見ると岩殿層中・上部層は、大陸棚下部〜大陸斜面の様な深い海に堆積したと考えられます。
浅い岩場に棲む貝も含まれていて、近くには浅い岩礁もあったことがわかります。
寒流系の貝化石を含まず、暖流系の貝や暖流系浮遊性の貝であるオウムガイ類アツリアの化石が発見されていることから、そこには暖流が流れ込む深い海が広がっていたと考えられます。
1400万年前〜1200万年前の日本は西南日本を中心に亜熱帯性の海中気候が広がり、東北日本には冷帯〜温帯性の海中気候が広がっていました。
岩殿層を堆積した海は、この時代には亜熱帯の海の北端だったのかもしれません。
以下に岩殿層産の貝化石の写真を載せます。産地はすべて嵐山町根岸〜鳩山町にかけての岩殿丘陵です。
岩殿層中・上部の砂岩層や泥岩層の貝化石
深い海に棲む貝類
※1目盛=1mm
浅海から運ばれた貝類
死後、殻が生息場所から深海に流されて堆積したと考えられます。
※1目盛=1mm