嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
COLUMN
6.コラム:嵐山町の中世寺社
ここでは、町内の中世寺社について触れます。嵐山町には町域を縦断するように鎌倉街道が通っていました。この街道によって新しい文化が、そして物資が地方と都市を往来していました。特に、大蔵・菅谷地区は鎌倉街道と都幾川が交差する地点で、陸上と水上の動脈が交わる十字路に当り、まさに要衝の地といえます。これらを背景に町内には多くの寺社がつくられてきました。現在、嵐山町で中世を起源とする寺社は30あまり確認されています。
- 寺社マップ
- 1 上石堂(かみいしどう)遺跡 | 菅谷
- 2 長慶寺(ちょうけいじ)跡 | 菅谷
- 3 東昌寺(とうしょうじ) | 菅谷
- 4 宝城寺(ほうじょうじ) | 志賀
- 5 持正院(じしょういん)跡 | 平沢
- 6 不動堂(ふどうどう)跡 | 平沢
- 7 平沢寺(へいたくじ) | 平沢
- 8 遠山寺(えんざんじ) | 遠山
- 9 石堂(いしどう)遺跡 | 千手堂
- 10 光照寺(こうしょうじ) | 千手堂
- 11 千手院(せんじゅいん) | 千手堂
- 12 石橋坊(いしばしぼう)跡 | 鎌形
- 13 大行院(だいぎょういん)跡 | 鎌形
- 14 桜井坊(さくらいぼう)跡 | 鎌形
- 15 班渓寺(はんけいじ) | 鎌形
- 16 安養寺(あんようじ) | 大蔵
- 17 向徳寺(こうとくじ) | 大蔵
- 18 宮ノ裏(みやのうら)遺跡 | 大蔵
- 19 明光寺(みょうこうじ) | 将軍沢
- 20 龍泉寺(りゅうせんじ)(旧光林寺〈こうりんじ〉) | 古里
- 21 泉蔵院(せんぞういん)跡 | 吉田
- 22 寺跡 | 越畑
- 23 広正寺(こうしょうじ)(旧満福寺〈まんぷくじ〉) | 広野
- 24 積善寺(しゃくぜんじ) | 杉山
- A 菅谷神社(旧菅谷山王神社) | 菅谷
- B 鬼鎮(きじん)神社 | 川島
- C 志賀八宮神社 | 志賀
- D 白山神社 | 平沢
- E 鎌形八幡神社 | 鎌形
- F 大蔵山王神社跡 | 大蔵
- G 吾妻(あづま)神社 | 根岸
- H 日吉(ひよし)神社 | 将軍沢
- I 手白(てじろ)神社 | 吉田
- J 越畑八宮神社 | 越畑
- K 広野八宮神社 | 広野
- L 杉山八宮神社 | 杉山
- 寺社マップ一覧
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一覧表の寺は『埼玉の中世寺院』『新編武蔵風土記稿』、神社は『埼玉の神社』の記述に基づいています。ただし、さらに古い根本資料が存在する場合はそちらを優先しました。
寺 1 上石堂(かみいしどう)遺跡 菅谷 2 長慶寺(ちょうけいじ)跡 菅谷 3 東昌寺(とうしょうじ) 菅谷 4 宝城寺(ほうじょうじ) 志賀 5 持正院(じしょういん)跡 平沢 6 不動堂(ふどうどう)跡 平沢 7 平沢寺(へいたくじ) 平沢 8 遠山寺(えんざんじ) 遠山 9 石堂(いしどう)遺跡 千手堂 10 光照寺(こうしょうじ) 千手堂 11 千手院(せんじゅいん) 千手堂 12 石橋坊(いしばしぼう)跡 鎌形 13 大行院(だいぎょういん)跡 鎌形 14 桜井坊(さくらいぼう)跡 鎌形 15 班渓寺(はんけいじ) 鎌形 16 安養寺(あんようじ) 大蔵 17 向徳寺(こうとくじ) 大蔵 18 宮ノ裏(みやのうら)遺跡 大蔵 19 明光寺(みょうこうじ) 将軍沢 20 龍泉寺(りゅうせんじ)(旧光林寺〈こうりんじ〉) 古里 21 泉蔵院(せんぞういん)跡 吉田 22 寺跡 越畑 23 広正寺(こうしょうじ)(旧満福寺〈まんぷくじ〉) 広野 24 積善寺(しゃくぜんじ) 杉山 神社 A 菅谷神社(旧菅谷山王神社) 菅谷 B 鬼鎮(きじん)神社 川島 C 志賀八宮神社 志賀 D 白山神社 平沢 E 鎌形八幡神社 鎌形 F 大蔵山王神社跡 大蔵 G 吾妻(あづま)神社 根岸 H 日吉(ひよし)神社 将軍沢 I 手白(てじろ)神社 吉田 J 越畑八宮神社 越畑 K 広野八宮神社 広野 L 杉山八宮神社 杉山
- 向徳寺
- 鎌倉街道の中世大蔵宿にある時宗の寺。銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像(国重要文化財)のほか、町指定の板碑群などたくさんの中世石造物があります。
- 鎌形八幡神社
- 木曽義仲ゆかりの地という伝承があります。1348(貞和4)年の懸仏をはじめ、越生町最勝寺旧蔵大般若経奥書(1386)年、東秩父村浄蓮寺銅鐘銘(1479 )年にその名が現れます。また境内では中世瓦も採集されています。
- 宮ノ裏遺跡
- 発掘調査により、大量の中世瓦が出土しています。この場所は江戸時代の絵図では山王社として描かれています。
- 千手堂
- 現在入間市蓮華院の所蔵する鰐口に「奉施入武州比企郡千手堂鰐口…寛正二年辛己十月十七日願主釜形四郎五郎…」の銘文が刻まれています。寛正2年は1461年にあたりこの頃すでに千手堂という仏堂があったことがわかります。
- 班渓寺
- 木曽義仲の妻で清水冠者義高(義仲長子)の母山吹姫が創建した寺と伝えられます。
- 大蔵院
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町内に残る1599(慶長2)年「武州比企郡杉山村御縄打(おなわうち)」と題された検地帳には大蔵院の名が見られ、1599年以前にこの寺が存在していました。 - 『天正十二年上田憲定朱印状』
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(大野正明氏蔵・埼玉県立文書館提供)
1584(天正12)年に松山城主上田憲定が出した古文書の中に広野の慶眼院、万福寺の名が出てきます。なお、万福寺は江戸初期にこの地方を領有した旗本高木氏により広正寺として中興され、現在に至っています。