(大野正明氏蔵・埼玉県立文書館提供) 1584(天正12)年に松山城主上田憲定が出した古文書の中に広野の慶眼院、万福寺の名が出てきます。なお、万福寺は江戸初期にこの地方を領有した旗本高木氏により広正寺として中興され、現在に至っています。