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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

2.阿弥陀堂

発見された堂跡。それは鎌倉時代はじめ、
東日本最大規模の方三間阿弥陀堂と考えられます。

方三間の宝形(ほうぎょう)造り

 発見された遺構から、浮かび上がる建物はいわゆる方三間の宝形造りです。屋根は、瓦が出土しなかったので一応柿葺(こけらぶ)きのようなものが考えられます。また方三間の周りには縁を支えた束石(つかいし)列が北側と西側に残り、濡れ縁がめぐっていたこともわかります。

検出された仏堂(阿弥陀堂)上空から/町指定史跡
検出された仏堂(阿弥陀堂)上空から|写真
一番中央の四角が四天柱の位置、その外側が側柱、さらにその外側が縁の束柱の位置です。礎石はすべて残っているわけではなく、抜き取られたりして、すでに存在しないものもありました。しかし四天柱と側柱についてはその下の根固め石が残っていたので、各柱の位置は正確に割り出すことができました。側柱間を測った建物の規模は、間口10.5m、奥行き9mで、同じ時代では東日本最大規模であり、地方寺院としては破格の規模といえます。
仏堂(阿弥陀堂?)検出状況
仏堂(阿弥陀堂?)検出状況|写真 調査では堂が焼け落ちた形跡は見られず、また内装具などもまったく出土しなかったことから、堂は移築または解体され他の建物に転用された可能性もあります。
阿弥陀堂
阿弥陀堂の建立は古代末以降浄土信仰の普及と共に盛んになりました。阿弥陀堂は通常三間四方の堂が多く、いわき市の白水阿弥陀堂は方三間堂に浄土庭園が伴う典型的なもので平沢寺との類似点もあります。
阿弥陀堂復元イメージ図
阿弥陀堂復元イメージ図 この図は、白水阿弥陀堂の建物をもとに立ち上げた復元図です。
時代・形・立地。この3点から現状では堂跡を阿弥陀堂であると考えました。