嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
COLUMN
4.コラム:建物と礎石
柱を立てる
中世においては、建物の柱を立てる方法は大きく二種類ありました。一つは、柱の根元を地中に埋めて立てる方法、もう一つは礎石(そせき)と呼ばれる土台石の上に立てる方法です。通常、前者は掘立柱(ほったてばしら)建物と呼ばれる倉庫や一般住宅に用いられています。後者は礎石立建物と呼ばれ、寺院建築に多く用いられました。平沢寺も礎石立建物の一つですが、その礎石は、自然石を素材として一部上面を平坦に加工したものも見られます。また石材は二種類あって、礫岩(れきがん)系のものは荒川周辺に産し、結晶片岩(けっしょうへんがん)系は平沢寺周辺にも産するもので、寺院造成に伴う土地の切り盛りにより産出したものを使用した可能性もあります。
- 松崎天神縁起/国重要文化財
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(山口県防府市防府天満宮提供) - 柳沢A遺跡掘立柱建物跡
- (滑川嵐山ゴルフコース内遺跡群発掘調査会提供)
- 寺内廃寺跡金堂基壇礎石/埼玉県指定史跡
- (熊谷市教育委員会提供)
- 不動堂入り口脇に集められた礎石群
- 隣接する道路工事に伴って出土しました。周辺には他にもまだ礎石が顔を覗かせている場所が点々とあり平沢寺の壮大な伽藍をうかがわせます。
- 礫岩系最大の礎石
- 上面は平坦に加工されています。高さ100cm、最大長140cm。
- 礫岩系礎石の岩肌
- 結晶片岩系最大の礎石
- 現在は転用され、上にお地蔵様が乗っています。結晶片岩は下里石に代表されるように槻川流域とその周辺に産出し、このあたりでは利用頻度の高い石でした。高さ90cm、最大長200cm。
- 結晶片岩系礎石の岩肌
- 荒川親鼻橋付近礫岩産出地
- 平沢寺の礫岩系礎石の産出地です。平沢寺とは直線距離でも約18kmあります。荒川の舟運を使ったとしても大変な労力だったでしょう。平沢寺建設は畠山氏の絶大な権力とこれに携わった様々な職人、そして周辺の庶民の姿をうかがわせます。