嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
COLUMN
7.コラム:修験・神仏習合
(しゅげん・しんぶつしゅうごう)
神仏習合とは日本固有の神道(しんとう)と仏教信仰が融合したものです。実際には神社に社僧と呼ばれる人がいたり、お堂があったりする信仰形態で、現在では不思議に見えますが中世ではごく普通のことでした。一方、修験は、山野で霊験を得るために修行することをいいます。修験も原始的な山岳信仰と密教が融合したもので、中世には加持祈祷(かじきとう)などに大きな力を発揮しました。
近世には鎌形八幡神社で大行院、桜井坊、石橋坊(一院二坊)、また平沢では持正院による修験が行われていました。鎌形の八幡神社周辺では神仏習合や修験の痕跡が中世までさかのぼれ、古くから信仰の中心地であったと言えます。
- 浄蓮寺梵鐘/埼玉県指定文化財
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(埼玉県立博物館提供)
この鐘には「武州比企郡鎌形郷 八幡宮鐘…文明拾一(1479)年…聖永運栄海」の銘文があり、当時八幡宮に梵鐘がおさめられ、さらに聖と称する僧がいたことがわかります。 - 旧持正院の修験『三僧祇権大僧都法印栄州像』
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(川越市 奥平長良氏提供)
開基の覚長は1565(永禄8)年没と伝えられています。写真は幕末に活躍した旧持正院三十八世栄州像で修験者姿で描かれています。中世に起源を持つ旧持正院の修験は代々引き継がれ幕末まで続いたのです。 - 鎌形八幡宮常住(じょうじゅう)の写経
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(画 田畑修)
越生町最勝寺旧蔵大般若経奥書には、この経文を書写した人々の名前が記されています。そこには鎌形八幡宮常住の人名が見え、八幡宮の僧が写経に加わっていることがわかります。ここにも、八幡宮の神仏習合がうかがえます。 - 桜井坊の板碑/町指定文化財
- 鎌形の旧桜井坊跡にあります。主尊に胎蔵界大日如来、脇侍に不動並びに愛染明王を配する優美な板碑です。刻まれた三尊から密教系の板碑であり、さらに両脇侍中央には「大峰八大金剛童子」と追刻があり町内唯一の完形修験板碑です。