嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
平沢寺の歴史
平沢にかつて東国有数の大寺院が存在していました。
その歴史は、中世をほぼカバーしてしまうほど長く、また物語に満ちています。
はじめに、平沢寺を語るさまざまな歴史的な資料を一覧します。
復元イラスト盛時の平沢寺
- 重忠と方三間堂(ほうさんげんどう)
- はたして、源平合戦をはじめ数々の超人的伝説に彩られた重忠が方三間堂を建てたのでしょうか。イラストでは参拝する重忠主従を参道に描き、当時の武士階級の精神生活の一端を表現してみました。
- 盛時の平沢寺
-
(画 中里美智子)
平沢の谷津に田圃の畦道として現在も旧参道が残っています。参道奥には東国最大規模の方三間の仏堂。発掘調査では12世紀末の造営と考えられています。その時代と場所から畠山氏に係わる建造物と考えられ、諸記録から重忠に結び付けることも難しい事ではありません。吾妻鏡によると重忠は永福寺の奉行人の一員であり、重忠はもちろん、彼に仕えた集団も寺院造営に関するノウハウを持っていたと考えられます。