(画 中里美智子) 平沢の谷津に田圃の畦道として現在も旧参道が残っています。参道奥には東国最大規模の方三間の仏堂。発掘調査では12世紀末の造営と考えられています。その時代と場所から畠山氏に係わる建造物と考えられ、諸記録から重忠に結び付けることも難しい事ではありません。吾妻鏡によると重忠は永福寺の奉行人の一員であり、重忠はもちろん、彼に仕えた集団も寺院造営に関するノウハウを持っていたと考えられます。