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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

COLUMN

5.コラム:瓦葺き

 古来「瓦葺(かわらぶ)き」と言えば寺院のことでした。瓦の葺き方には、大きく二つあります。本瓦葺きはその一つで、正統的な葺き方です。もうひとつが寝殿造(しんでんづくり)とともに行われた棟葺(むねぶ)き(甍棟〈いらかむね〉)で、平安時代から中世に広まり次第に社寺建築にも採用されていくようになります。
 ところで軒瓦は古代より、優美さや繊細さを競うように文様が施されてきました。中世に至ると次第に文様は固定していき、東国にあっては軒平瓦(のきひらがわら)は剣先をかたどったような剣頭文(けんとうもん)か唐草文(からくさもん)、軒丸瓦(のきまるがわら)は三巴文(みつどもえもん)に統一されていくことがわかっています。嵐山町には、現在中世の瓦出土地が六カ所見つかっていて県内でも有数の密集地といえるでしょう。その中でも大蔵地区は特に集中していて、当地の先進性をうかがうことができます。

平沢寺採集軒平瓦
平沢寺採集軒平瓦|写真 (奥平文雄氏蔵)
下向きの剣頭文で全体の半分程度しか残っていません。意匠を表現する線が骨太で左の資料と類似しています。採集資料の少なさからいって単一時期である可能性が高く、セットだと思われます。
平沢寺採集軒丸瓦
平沢寺採集軒丸瓦|写真 (奥平文雄氏蔵)
全体的に表現がやはり骨太で豪壮感が漂っています。周りにめぐる珠文も大きく、宮ノ裏の資料より古式と考えられます。
平沢寺甍棟想像図
平沢寺甍棟想像図
平沢寺境内の一番奥の白山神社付近では、中世の瓦を採集することができます。その種類には軒平瓦、軒丸瓦、熨斗瓦、丸瓦があります。本瓦葺きにしては平瓦、丸瓦が少なすぎる点から、この地点に建っていた瓦葺き建物は甍棟だったと考えられます。
宮ノ裏遺跡Ⅰ期瓦復元図
宮ノ裏遺跡I期瓦復元図 上向きの剣頭文と三巴文がセットで使用されていました。同じタイプが都幾川流域を中心に東京都下など広い範囲に分布することがわかっています。
宮ノ裏遺跡Ⅱ期瓦復元図
宮ノ裏遺跡II期瓦復元図 唐草文と三巴文の組み合わせ。この瓦は落下防止用に引っかかりと突起を持っています。
宮ノ裏遺跡出土軒丸瓦
宮ノ裏遺跡出土軒丸瓦|写真 この地方独特の小珠文が巴の周りにめぐらされています。