一番中央の四角が四天柱の位置、その外側が側柱、さらにその外側が縁の束柱の位置です。礎石はすべて残っているわけではなく、抜き取られたりして、すでに存在しないものもありました。しかし四天柱と側柱についてはその下の根固め石が残っていたので、各柱の位置は正確に割り出すことができました。側柱間を測った建物の規模は、間口10.5m、奥行き9mで、同じ時代では東日本最大規模であり、地方寺院としては破格の規模といえます。