嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
3.杉山城跡 すぎやまじょうあと
見事な縄張、様々な工夫。
杉山城は、まさに実戦に備えた要塞です。
関東戦国山城の傑作
市野川を挟んで鎌倉街道を見下ろす山の頂に国指定史跡杉山城があります。戦国時代の山城は、土塁と空堀(からぼり)とで仕切られた郭を山の高低差を利用しながらたくみに配置して、小人数で立てこもり、多数の敵を迎えうつためのまさに実戦に備えた要塞です。
杉山城はその縄張の見事さと、様々な実戦のための城づくりの工夫が見られ、またその姿が今日までほとんど無傷で残されていることで、関東でも屈指(くっし)の名城と評価されています。
本郭を中心として北・東・南の三方向にそれぞれ二の郭、三の郭を梯段(はしごだん)状に連ね、さらに大手口に面しては外郭(そとぐるわ)と馬出郭(うまだしぐるわ)、井戸に面しては上方からこれを防禦する井戸郭が配置されています。また帯郭や空堀は複雑に入り組んでおり、敵にとっては混乱する迷路であっても、城方にとっては敵の目をかすめて郭間の連絡をとる通路としても機能していたことがわかります。
- 市野川越しに見る杉山城の遠景
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(元・水道庁舎屋上から)
城の標高は最高部で98.6mあり、市野川の沖積地からの高低差はおよそ50mとなっています。 - 杉山城から高見城を望む
- 北三の郭搦手口から見た高見城は、直線で5kmの距離ですが、狼煙(のろし)などの情報伝達を行うのには極めてよい眺望が開けています。
- 本郭跡/県指定史跡
- 本郭は城の中心にあって三方向に小口があり、四方に向って出桝形の横矢掛かりが小口を厳重に防禦しています。
復元イラスト杉山城跡復元鳥瞰図
横矢掛かりを駆使した防禦機能
杉山城の防禦機能がとくに優れているのは、全ての小口に仕掛けられている横矢掛かりと呼ばれる構造に見ることができます。
次々と攻め入って来る敵兵はまず小口を突破しようとします。そのとき、城方の守備兵は正面から迎え撃つだけでなく、敵の側面からも矢を射かけることができるようにしたのがこの横矢掛かりです。攻城兵は一度に複数の敵を相手にすることになり、生命の危険は倍化し、少数の守備兵で多数の敵を何カ月もの間釘づけにすることを可能とするのです。
しかし、この城は各郭が狭く、堀や土塁の規模も大きくはありません。したがって鉄砲を使って攻めたてられたら恐らく長くは持ちこたえることはできないでしょう。このことから、築城の年代は少なくとも鉄砲が戦いの主力として普及する以前だったとも考えられています。
- 井戸跡
- 山城は危急の場合籠城(ろうじょう)するために築かれるものですが、籠城戦が長引いたときに最も必要不可欠なものが飲料水です。この水を確保するために掘られた井戸を水の手と呼び、とくに強力な防禦でかためられています。この城には2カ所の水の手がありますが、この大石で覆われた井戸は今でも年間を通じて水の渇(か)れることはありません。
- 本郭南側の空堀
- 本郭と南二の郭との間の空堀は、堀底道となっていて、東側へ回り込むと東二の郭へ、西側は井戸郭との間を通って井戸のある帯郭へと連絡しています。
- 大手口
- 大手の小口付近は非常に複雑な構造をしています。外から門をくぐって左側へ細い通路を登ると外郭へ入ることができますが、正面には高い土塁が立ちはだかっており、左側は深い空堀がL字形にめぐって左方からの横矢が仕掛けられています。また防禦だけでなく城内から反撃に転じることも想定して、右側にある二重の土塁奥の空堀道と、その右方にある馬出しに伏兵をひそませておくことができるようになっています。
- 大手口復元図
- (画 葛西忠雄)
- 井戸郭から本郭へ入る小口
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井戸郭は、この南裾にある帯郭の水の手を守る役割を持った郭と考えられますが、本郭へ通じる3つの小口の1つともなっています。本郭へは木橋を渡って入ることができますが、ここには左側からの強力な横矢がしかけられていて敵の侵入を拒んでいます。
また木橋下の堀は、南二の郭から東二の郭や本郭西側へと通じる堀道となっており、味方の兵にとっては便利な通路であったことがわかります。 - 井戸郭から本郭へ入る小口復元図
- (画 葛西忠雄)
- 北二の郭から本郭へ入る小口
- 北側から本郭へ入るための小口は最も堅固な防禦で守られています。北二の郭からは大きく迂回して狭い坂小口を通って本郭へ入らなければなりませんが、本郭の非常に高い土塁上からは横矢がねらい、正面には現在小祠のまつられている部分に、やぐらがそびえていたと考えられ、侵入者は真上からの攻撃にもさらされることになります。また、本郭を取り巻く空堀は堀道となっており、東二の郭や南二の郭からの援兵がいつでもかけつけられるようにもなっています。
- 北二の郭から本郭へ入る小口復元図
- (画 葛西忠雄)