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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

COLUMN

7.コラム:復元された各地の城

 現代の私たちがふつう城をイメージするとき、そびえ立つ石垣に白亜の天主閣を思い描くのではないでしょうか。しかし、城跡と伝えられる山に登ってみても天主閣はおろか石垣すら見出すことはできません。それは元々そうした施設がなかったからなのです。
 それではいったい戦国時代の城の実像はどのようなものだったのでしょうか。数少ない古文書に記された城の様子や発掘調査により明らかとなった遺構から、最近では各地に復元された城を見ることができるようになりました。このコラムではこうした復元された各地の城を紹介します。当時の城のイメージをふくらませてみましょう。

 城の築かれた関東地方の大部分の丘陵や台地上には関東ローム層と呼ばれる赤土が厚く堆積しています。このローム層を掘り込んで空堀をつくり、掘り出された土を堅く築き固めて土塁を盛り上げます。土塁の上には柵や土塀をめぐらせました。戦闘の時にだけ使われる枝城や端城と呼ばれる山城には材木を組み上げた高い井楼(せいろう)が何か所にもそびえ立つほかは兵糧(ひょうろう)や武器を収納するための簡単なつくりの掘立柱の建物があり、堀にはいつでも崩して落すことのできる木橋がかけられています。杉山城の復元イラストはこうした当時の城の姿を想定して描きました。各地に復元された城と見較べてみてください。

猿島町指定史跡
逆井城(さかさいじょう)

 戦国時代の末期に後北条氏が常陸、下野方面へ侵攻するための最前線基地として築いた城です。現在は茨城県猿島町が計画的な発掘調査と本格的な保存・復元整備事業に着手し、多くの建築遺構を再現しています。

大手の橋に面した土塀
大手の橋に面した土塀|写真 鉄砲狭間と呼ばれる小窓があります。
主殿の中門
主殿の中門|写真 門と主殿の屋根の間に井楼矢倉が見えます。
二階門と木橋
二階門と木橋|写真 一曲輪の小口は二階門と木橋が復元されています。
井楼(せいろう)矢倉
井楼矢倉2|写真井楼矢倉1|写真
逆井城には二箇所に井楼矢倉が復元されています。蒸籠(せいろう)を積み重ねたように角材を井桁(いげた)に組み上げる形状から井楼と呼ばれます。平時は物見台として、また戦時には弓や飛礫(ひれき)を発射する攻撃台となりました。
西二曲輪に復元された主殿
西二曲輪に復元された主殿|写真 主殿は城主の住居です。寝殿造り風の建物となっており、白砂利の敷かれた庭園も復元されています。
大手口の筋違橋と着到矢倉
大手口の筋違橋と着到矢倉|写真 堀を斜めに渡した筋違橋のそばにそびえる二層三重の矢倉や土塁上の塀などは、全て発掘調査でその存在が確認されたものです。

国指定史跡
八王子城

八王子城跡の碑|写真 北条氏照(うじてる)が1582(天正10)年ごろから築城をはじめた城ですが、広大な山城は8年後の1590年に豊臣秀吉の小田原攻めの際に未完成のまま戦って落城しました。城郭の要部は背後の山上にあって、さらに奥には詰の城と呼ばれる天主があったと考えられています。復元整備されたのは麓の御主殿と呼ばれる城主の館付近です。

古道
古道|写真 大手門跡から御主殿へと通じる道は幅2mほどで古道と呼ばれています。
復元された引橋
引橋|写真 両側の橋台部分は石垣積で、敵の来攻の際には2本ある橋脚の間の部分を主殿側へ引き寄せて通行を止めることができるようになっていたと考えられています。
御主殿から見た引橋の全景
引橋の全景|写真
御主殿冠木門
冠木門|写真 谷川に面した御主殿は城主氏照の館で、高い石垣に囲まれています。主殿の建物や枯山水の庭園があったということです。
御主殿小口
小口|写真 石敷階段通路を登りつめると再び左へ回り込み御主殿の小口となります。板塀と大きな冠木門が復元されています。
御主殿入口の石敷階段
石敷階段|写真 引橋を渡ると右側へ「コ」字に回り込んで主殿の小口へと登る石敷の階段通路があります。左側の斜面上が御主殿です。

国指定史跡
山中城

 後北条氏が箱根山の西、現在の静岡県三島市に築いた境目(さかいめ)の城で、箱根旧街道を城中に取り込んだ交通の要所(関所的な役割)にあたります。秀吉の小田原攻めには最初の攻撃目標とされ落城しています。発掘調査で堀底に畝を設けた障子堀や畝堀が確認され、保存整備された城跡公園となっています。

本丸から北ノ丸への木橋
本丸から北ノ丸への木橋|写真 本丸小口に架けられた木橋奥に見えるのは北ノ丸です。
畝堀
畝堀|写真 整備された堀には芝が貼ってありますが、本来は火山灰質のローム土がむき出しとなっています。一旦堀の底に落ちた兵士は土に足をとられ、急な斜面を容易には這い登ることができなかったことでしょう。
障子堀(しょうじぼり)
障子堀|写真 西ノ丸の周囲の堀は障子のさんのような畝が整然と設けられていて障子堀と呼ばれています。
西ノ丸
西ノ丸|写真 二ノ丸から西ノ丸に入る小口には冠木門が復元されています。
畝堀(うねぼり)と木橋
畝堀と木橋|写真 二ノ丸西小口に架けられた木橋を二ノ丸西堀から見たところです。堀底に設けられた畝は急角度で高くそびえ、堀内の通行を妨げるとともに、傾斜のある堀底が雨水などで洗い流されるのを防止する効果があります。
山中城跡の碑/国指定史跡
山中城跡の碑|写真 本丸下の国道1号線の傍(かたわ)らに建てられています。