嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
6.中期の遺跡群
中核のムラ
行司免遺跡
縄文時代中期は最も遺跡数が多い時期です。比企丘陵でも川に沿って連綿とムラが営まれています。ところが個々に調べると、長期間続いた大規模なムラは、現在のところ僅かに4か所しかないのです。中でも嵐山町の行司免遺跡は別格で、中期の中ごろから終末までずっと継続しました。特定のムラの繁栄には何か理由がありそうです。
行司免ムラはちょうど平地の突きあたり、山地の入口に位置しています。山に住む人と海沿いの人がともに集まりやすい、便の良い道筋にあります。ムラは物資の集積所、輸送の中継基地のような性格だったのではないかと研究者は推測します。基地ならば数が少ない方がより多くの物が集まりますし、常に決まった場所になければ不便です。行司免ムラは荷を運び、必要な品を手に入れる人々の行きかう、地域の中核だったのではないでしょうか。
中郷
中小のムラ
行司免ムラ以外の大半のムラは、どれも規模が小さく、存続した期間も短かったり断続的だったりします。その中には、季節的なムラや仮設のキャンプ地のような性格のものが多く見られるようになります。このようなムラの性格の違いは、縄文時代前期の段階ですでに現れています。中期になって大きなムラの環状集落の形態が確立すると、小さなムラとの違いはさらに鮮明になりました。
大きなムラを通常の生活の拠点とし、周辺のいわば出先のムラで狩猟や採集の活動にいそしむ。研究を深めれば、こうした縄文人たちの行動の具体的なあり方も少しずつ明らかになっていくことでしょう。