嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
2.復元・行司免遺跡
狭いながらも楽しい我が家
竪穴住居の暮らし
竪穴住居は、縄文時代を通じた(さらにいうなら平安時代まで続いた)日本の過去の伝統的な家の形です。
行司免遺跡をはじめ、縄文時代中期の家は円形が主流です。地面を50センチメートルくらい掘った穴の底が床になります。4本から6本の柱で屋根を支えます。出入口は日が射し込む南向きに。中央には石を組んだ炉があります。夏は涼しく、冬暖かい家です。
行司免遺跡の場合、床面積は11から53平方メートルほど。平均12、3畳といったところです。1軒には5人から、大きな家で8人くらいが暮していたと考えられます。中には、手狭になったのでしょうか、穴を掘り広げて増改築した家もありました。
住
広場とゴミ捨て場
行司免のムラの中央広場は、径100メートルもある広い空間にも関わらず、ムラが続く間、家が建てられることはありませんでした。ムラ人共有の場という約束事が守られていたのです。広場には墓地があり、折々にはマツリも行われたことでしょう。神聖な領域であったと見ることもできます。
ムラの西側と北には、浅い谷を利用したゴミ捨て場が決められていました。