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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

2.ムラ人の生活〈越畑・大木前遺跡〉

十年一日のごとし

 8世紀の末、都は奈良から京都へと移り、平和と繁栄を祈って「平安京」と名付けられました。以後400年にわたって平安時代が続きます。貴族が政治、経済の主導権を握り、華麗な宮廷文化が花開きました。しかしそれは、天皇を取り巻く、本当に一握りの人達だけの世界でした。ましてや、遠く離れた東国の地では、ムラ人たちはあいも変らぬ、土にまみれる日々を過ごしていたのです。溜池の用水を利用して谷筋に水田を作り、田畑を耕し、農産物とわずかばかりの手工業で、細々と暮らしを立てていました。嵐山町内で発見される遺跡が、当時のムラの様子を少しずつ語ってくれます。

大木前(おおきまえ)遺跡(県立埋蔵文化財センター提供)
大木前遺跡|写真 奈良時代に入る直前の嵐山町の村の姿です。1997年に発掘調査されました。丘陵の斜面地に26軒の家が点在しています。

大木前ムラ再現イメージ|イラスト
大木前ムラ再現イメージ(イラスト:長岡由紀) 都を一歩離れると、農村の風景が広がります。ムラ人の家は依然として地面を掘り込んだ竪穴住居でした。