嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
2.ムラ人の生活〈越畑・大木前遺跡〉
十年一日のごとし
8世紀の末、都は奈良から京都へと移り、平和と繁栄を祈って「平安京」と名付けられました。以後400年にわたって平安時代が続きます。貴族が政治、経済の主導権を握り、華麗な宮廷文化が花開きました。しかしそれは、天皇を取り巻く、本当に一握りの人達だけの世界でした。ましてや、遠く離れた東国の地では、ムラ人たちはあいも変らぬ、土にまみれる日々を過ごしていたのです。溜池の用水を利用して谷筋に水田を作り、田畑を耕し、農産物とわずかばかりの手工業で、細々と暮らしを立てていました。嵐山町内で発見される遺跡が、当時のムラの様子を少しずつ語ってくれます。