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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

2.国府と郡衙

お役人の仕事

 役人は夜明け前に出勤、昼ごろまでに執務を終える毎日です。主な仕事は戸籍の作成や、稲・布などの税の徴収と管理です。戸籍は六年ごとに更新され、これに基づいて田地を分配し、租・庸・調(そ・よう・ちょう)その他が課税されます。税はまず郡衙に集められ、まとめて国府に届けます。納税量に間違いがないか戸籍と照合し、台帳を作成するのも役人の大事な仕事でした。納税した郡、郷名、品目、数量などを記載した荷札をつけて都へ送ります。この荷札が木簡(もっかん)です。筆、硯、墨、水滴(すいてき=水入れ)などとともに、当時の役人の仕事上の必需品のひとつに刀子(とうす=小刀)があります。一度使用した木簡の表面を削りとって再利用するための道具です。

武蔵国府推定地(府中市教育委員会提供)
武蔵国府推定地|写真 現在の東京都府中市、大国魂神社周辺にあったと考えられます。北に向って当時の国道(東山道武蔵路)が延び、埼玉県方面に通じます。
下野(しもつけ)国府政庁跡(国指定史跡、栃木県教育委員会提供)
下野国府政庁跡|写真
下野国庁跡復元模型(栃木県立しもつけ風土記の丘資料館提供)
下野国庁跡復元模型|写真
下野国府は発掘調査によって政庁が確認された代表例で、門と塀に区画された中の中央奥に正殿と前殿、その東西に長方形の脇殿が整然とつくられていたことがわかりました。武蔵国府にも同様な建物群が存在したことでしょう。
地方役人の執務の様子(新潟県立歴史博物館展示)
地方役人の執務の様子|写真 机の上には硯、墨、刀子、木簡などの役人の七つ道具が並んでいます。
現在の嵐山町役場の執務風景
現在の嵐山町役場の執務風景|写真 パソコン端末は筆と硯に代わる現代の七つ道具となりました。

郡役所付属の倉庫群

深谷市中宿遺跡

 埼玉県の大半は、当時の武蔵の国に属します。県域は16の郡に分かれていましたが、これまで確実な郡衙跡は発見されていませんでした。
 1991年、岡部町大字岡(現・深谷市岡)の中宿遺跡が発掘調査されました。すると、奈良時代の20棟もの大規模な倉庫が、整然と建ち並んでいたことが明らかとなったのです。1メートルを超える方形の柱穴列は圧巻です。眼下に流れる福川に下りる階段の跡もみつかり、船を使って荷を運搬する様子も浮かんできました。まさに榛沢郡の役所に付属する倉庫群(正倉〈しょうそう〉)と呼ぶにふさわしい姿です。

復元された倉庫群(深谷市教育委員会提供)
復元された倉庫群|写真
中宿遺跡は公園化され、特に規模の大きな2棟の建物は復元されています。左側の建物は板倉、右側の建物は校倉造りの倉庫です。
倉庫群跡現航空写真(深谷市町教育委員会提供)
倉庫群跡現航空写真 現在までに20棟の倉の跡が発見されています。斜面地を整地し、地固めした上に建物を造っています。建物は総柱構造で、当初掘立柱建物跡であったものを、礎石建ちに作り替えていました。
倉庫群復元模型(深谷市教育委員会提供)
倉庫群復元模型|写真 台地の北縁眼下には福川が流れています。手前に総柱の倉庫群が3列、整然と並び、その奥には広場があったことがわかりました。倉庫群と川の間には階段が設置され、物資の輸送に舟運も利用されていたと考えられます。
熊野遺跡航空写真(県立埋蔵文化財センター提供)
熊野遺跡航空写真|写真中宿遺跡の南には、熊野(くまの)遺跡という大きな集落跡が広がっています。道路や鉄製品を作る工房跡もあり、硯、和同開珎、遠方の土器など、特殊な遺物が数多く発見されました。
畿内産土師器(深谷市 熊野遺跡出土、県立埋蔵文化財センター蔵)
畿内産土師器|写真
和同開珎(深谷市内出〈うちで〉遺跡出土、深谷市教育委員会蔵)
和同開珎|写真
円面硯(えんめんけん)(深谷市熊野遺跡出土、深谷市教育委員会蔵)
円面硯|写真
正倉院
正倉院|写真 奈良市東大寺境内にある正倉院は皇室の宝物を納めた倉で、校倉造りの建築様式を伝えています。