嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
3.ちょっと納得・古墳の雑学〈その2〉大きさ
墳丘の大きさ
- 百舌鳥古墳群空撮写真(堺市博物館提供)
- 古墳時代で最も大きな古墳が造られた中期において政治の中心である畿内の最大の古墳群です。その中心に大仙古墳(仁徳陵古墳)があります。
- 稲荷塚古墳
- 嵐山町内で最も保存状態が良く、全体の規模がわかる古墳です。墳丘の規模は直径約20m、高さ3.6mを測り、7世紀後半に造られた終末期古墳です。
嵐山の古墳と大王の古墳
古墳というと、教科書や図鑑、テレビなどでは必ず鍵穴の形をした前方後円墳が登場します。幾何学的な形は端正で美しく、強い印象を与えます。またその大きさは圧倒的で、実際に間近で見ると、本当に山のようです。完成までに十数年を要するといわれる偉容が、そこに葬られた大王と呼ばれる人達の権力の大きさを如実に語っています。
嵐山町ではどうでしょう。木々の間に隠れるような小さな古墳ばかりです。大きさはせいぜい10から20メートル、みな円形の塚です。首長や有力な家の墓とはいっても、地方の、しかも小地域での話では、その力は中央の大王や豪族たちとは比べるべくもありません。でも。ずいぶんと縮小版ながら、これもやはり古墳なのです。同じ古墳を造るということに大きな意味があります。大和政権の連合体として、一つにつながっている絆の一つだからです。
石室の大きさ
- 石舞台古墳(左・国指定特別史跡)と 古里古墳群北田1号墳(右)
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奈良県明日香村にある石舞台古墳は蘇我馬子の墓といわれる一辺約50メートルの方墳で、巨石を積み上げた石室が露出しています。 - 石舞台古墳と北田1号墳の石室実測図比較
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石舞台古墳は7世紀前半に造られた古墳で石室の規模は全長19.08m、玄室長7.57m、幅3.48m、高さ4.7mで天井石のひとつは重さが77tと推定されている巨大なものです。
北田1号墳は7世紀代の後期古墳で、凝灰岩の切石を積み上げた横穴式石室が確認されました。規模は全長5.4mで、玄室長2.3m、高さ1.8mでした。小さな石室であっても石の切り出し、運搬、組み上げには多くの労力と高い技術の存在が窺われます。
埴輪の大きさ
- 長野県更埴市森将軍塚古墳の復元埴輪列(国指定史跡)
- 古墳の大きさ、埴輪の大きさの違いはあっても、墳丘に立て並べられた埴輪は、そこに葬られた力ある人々を荘厳にまもり、そこで行われた厳粛な儀式を表わしたり、現世での豊かな生活と黄泉の国へつづく生活を表わしているのでしょう。
- 日本一大きな埴輪と嵐山の埴輪
- 古里古墳群駒込支群1号墳から出土した円筒埴輪は高さ32〜34cmほどの小さなものです。埴輪の大きさは時期にもよりますが、古墳の大きさにも比例しているのでしょうか。奈良県桜井市メスリ山古墳出土の円筒埴輪は高さが2.4mありました。その大きさの違いには驚かされます。