嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
5.ちょっと納得・古墳の雑学〈その4〉石室
竪穴式と横穴式
石室の違い
棺を納める部屋、石室の形態は、古墳時代の前半と後半で異なっています。古墳時代前期・中期では、石室は墳丘の上から穴を掘り、石や粘土で壁、床を貼るものでした。竪穴式石室と呼びます。一つの古墳に複数の棺がある場合は、改めて穴を掘り、石室をしつらえています。
古墳時代後期になると、横穴式という石室が採用されました。部屋に通じる入口と扉があり、後から棺を運び込むことができます(追葬〈ついそう〉といいます)。
はじめは「誰それの墓」だった石室が、やがて「○○家の墓」へと微妙に変化したのです。嵐山町の古墳はほとんどがこの横穴式石室です。
- 緑泥石片岩の石室・稲荷塚古墳の玄室奥壁
-
玄室の奥壁や天井石には長さ2メートル以上の大きな石が使われています。このような大きな石を数キロメートルも離れた場所から運ぶのは大変な作業です。 - 緑泥石片岩の石室・稲荷塚古墳の前室側壁の石積み
- 側壁には同じくらいの厚さの薄い緑泥石片岩を小口積みに積み上げています。上からの圧力が水平にかかるように隙間なく、様々な大きさ・厚さの石を丁寧に積み上げています。
- 凝灰岩の石室・北田1号墳
- 北田1号墳の石室は、天井部が崩落する以外は、ほぼ完全な形で残されていました。様々な形に石を加工して隙間なく組み合わせ、見事に積み上げられた姿は、技術の高さを物語っています。
石材と工法の違い
石室に見る二大勢力
嵐山町内の古墳の横穴式石室は、大字川島辺りを境にして、南北で明らかに異なっています。部屋の形は共通していても、石材と製作法が違うのです。
北では、黄白色の凝灰岩(ぎょうかいがん)が用いられます。四角く切り出した大小の石を巧みに組み合わせて壁を作ります。南部では青緑の緑泥石片岩(りょくでいせきへんがん)を使います。隙間を小石で埋めながら、板状の岩を重ね上げていきます。壁は美しいモザイク模様になります。
この違いがどこから来るのか。理由の一つは、石材の入手ルートでしょう。さらに考えられるのが、古墳造りに関わる技術者が違うということです。どちらの工法も熟練の技が必要です。それぞれ別のおかかえ技師がいたとすると、6世紀後半から7世紀後半にかけての嵐山町には、南北で勢力が分かれていたのかもしれません。