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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

4.ちょっと納得・古墳の雑学〈その3〉造り方

修羅で大石を運ぶ|イラスト 修羅で大石を運ぶ(イラスト:長岡由紀)

修羅(しゅら)出土状況(大阪府三ツ寺古墳、大阪府教育委員会提供)
修羅出土状況|写真 修羅は巨石などの大きく、重いものを運ぶために使われた木製のソリです。

小さな?稲荷塚古墳の大造営作業

 嵐山町にあるような小さな古墳でも、その築造には相当な期間と労働が必要です。大字菅谷の稲荷塚古墳を参考に、その造り方を再現します。

選地場所選びは重要なポイントです。古墳には、そこに眠る人物の権力を、生前も、さらには死後も誇示する意味合いが強いからです。自身の力が及んだ地域を見渡せる小高い丘は最良でしょう。

整地樹木を伐採し、地面を平坦にならします。設計図もひかれます。

石材の調達遺体を納める石室用の石です。稲荷塚では、小川町などで採れる下里石(緑泥石片岩)を用いています。天井や奥の壁は2メートルもある一枚石です。これほど大きな石を切り出すのも、運ぶのも、当然すべて人力ですから、全体の石材の運搬だけでも、多大な労力を要したことでしょう。

稲荷塚古墳の玄室奥壁|写真
 稲荷塚古墳の玄室奥壁
石室作り床に石を敷き、壁を立ち上げていきます。稲荷塚古墳の壁は「小口積み(こぐちづみ)」といって、平たい石を寝かせて重ね上げる、丁寧で堅牢なつくりです。石室は、上から見ると樽のような形をしています。闇雲に石を積んだから壁が歪んでしまったわけではありません。「胴張り型(どうばりがた)」という嵐山や周辺一帯のいわば規格品なのです。古墳の設計、施工に携わる専門技術者がいたことは想像に難くありません。

盛土石室の組み上げ作業と同時並行で進めます。古墳の回りに巡る溝を掘り、その土を盛り上げていきます。そのままでは雨風で崩れてしまうので、少しずつ土を置いては突き固めるという地道な作業が繰り返されます。石室の天井石を据え、さらに盛土をして形を整えます。

葺き石手ごろな大きさの河原石で墳丘全体を覆います。シルエットを浮き立たせ、厳粛な空気を醸し出しますし、盛土の流出や草木の繁茂を防ぐ効果もあります。

 以上で古墳造りはひとまず終わりです。しかし、そこに葬られるべき人物はまだ健在です。自分の墓を、自ら指揮をとって造らせるのです。大勢の人を動員できるのも、権力の証というわけです。

葬儀いよいよその人物が亡くなると、黄泉の国へ送る儀式を何日も行ないます。愛用の品々とともに遺体が石室に納められ、入口(羨門〈せんもん〉)が閉じられてようやく古墳にかかわるすべてが終わります。

稲荷塚古墳の復元整備工事
稲荷塚古墳の復元整備工事|写真1稲荷塚古墳の復元整備工事|写真2
平成元年に所有者の菅谷神社の協力を得て、石室の保存修理工事を行いました。重機を使って大きな天井石を吊り上げるなど大変な工事でした。

群集墳と石室・埴輪列|イラスト 群集墳と石室・埴輪列(イラスト:長岡由紀) 嵐山町の古墳は、円墳が数基から十数基まとまった群集墳といわれるものです。
現存する古墳は、木々が生い茂った小高い塚がほとんどですが、当時は埴輪が立ち並んだり、石が葺かれていた整然とした姿だったのです。