嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
5.丘陵に広がる前期の遺跡群
丘陵に生きる
比企丘陵では、縄文時代前期の中ごろ、山根遺跡と同じ時期の遺跡が爆発的に増加しています。丘陵に生きた人々の貴重な痕跡です。遺跡の分布を見ると、川に沿って、台地や丘陵上に連なっているのがよくわかります。
発掘調査を行うと、遺跡の興味深い違いが明らかになります。川沿いの遺跡は、住居が10数軒あって土器や石器の遺物も多く、一定期間のムラのにぎわいが感じられます。一方、ムラからは少し離れて、1軒2軒の住居がぽつんと発見される例があります。使用されていたのはごく短期間で、いわば生活のにおいがあまりしない遺跡なのです。これらは、狩などで遠征した時の仮設のキャンプ、あるいは臨時使用の山小屋のような性格ではなかったかと考えられています。
- 尺尻(しゃくじり)遺跡と尺尻北遺跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 花見台工業団地の造成に伴い発掘調査されました。
- 尺尻遺跡2号住居跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 前期諸磯b式期の住居跡1軒と集石土坑2基が検出されました。住居跡は3.4m×2.6mの長方形です。炉や柱穴は検出されず、諸磯b式土器が少量出土しました。
- 尺尻北遺跡1号住居跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 前期諸磯c式期の住居跡1軒と土坑2基が検出されました。住居跡は確認できた1辺が4.2mの長方形を呈します。炉や柱は検出されず、諸磯c式土器と打製石斧などの石器が出土しました。
- 上耕地遺跡
- 嵐山町古里にあります。調査により諸磯式期の住居跡が1軒検出されました。
- 年中坂(ねんちゅうざか)B遺跡集石土坑
- 嵐山町太郎丸にあります。オオムラサキゴルフ場の建設に伴う発掘調査により、前期諸磯b式、c式期の集石土坑5基が検出されました。
- 亥(い)遺跡集石土坑
- 嵐山町太郎丸にあります。オオムラサキゴルフ場の建設に伴う発掘調査により、早期後半〜前期の集石土坑6基が検出されました。
嵐山町の前期土器
前期中ごろの土器は、粘土につなぎとして植物の繊維を混ぜ込むのが特徴です。土器を作りやすく、また割れにくくする工夫です。縄文のつけ方にもこだわっていた時期です。
前期後半の土器は、篠竹を割ったような箆を使った、流れるような文様で埋め尽くされています。大きく広がった口が、縁のところで少し内側に折れ曲がっているのは、ドングリのアク抜きや食料の煮炊きなどのときに吹きこぼれないように、縄文人が知恵を絞って編み出した形です。
- 山根遺跡住居跡出土土器
- 左2個は黒浜式土器です。胎土に植物質の繊維を含む繊維土器です。右は諸磯b式土器です。繊維を含まず、細い隆帯文様が特徴です。
- 芳沼入(よしぬまいり)遺跡グリッド出土土器(県立埋蔵文化財センター蔵)
- 前期終末の土器2個体が出土しました。半裁した竹のような工具で細かい文様を描いています。
コラム3:イノシシ形突起
縄文時代前期後半の土器には、イノシシの顔がつけられたものがときどきあります。縁のところにちょこんと乗っています。忠実な模写ではなく、切れ上がった目と大きな鼻で表現された顔です。
縄文人にとってイノシシは、シカとともに安定した食料源として最も重要な動物でした。そして土器は食べ物を煮炊きする道具です。その土器に、食材の代表選手ともいうべきイノシシがついているのです。人々の命をつなぐ大地の恵み、その全てを象徴する食べ物の守り神のような存在、と考えれば、顔が抽象的なのもうなずけます。