嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
4.復元・山根遺跡
- 8号・14号住居跡
- 右が14号住居跡、左が8号住居跡です。黒浜式期の14号は1辺5.2mの方形でやや大型、諸磯a式期の8号は長径4.4m、短径3.6mの長方形で小型の住居です。
- 14号住居跡
- 山根遺跡では、前期黒浜式期の住居跡5軒、諸磯a式期の住居跡7軒が検出されました。14号住居跡は1辺5.2mの方形で、壁にそって柱穴がめぐり、中央に地床炉があります。黒浜式土器が多量に出土しました。
- 12号住居跡
- 直径5.2mの円形の住居ですが、西側半分だけが調査できました。
山懐に抱かれて
ドングリが支える前期のムラ
嵐山町遠山地区は、周囲を山に囲まれた小さな盆地です。山に沿って東西に槻川が流れています。この盆地の中央部に、縄文時代前期の集落が営まれていました。
発掘調査区域内の住居跡は、数軒がまとまった配置になっていました。全体を推測すると、直径30メートルくらいの広場を住居が囲むかたちのムラだったようです。一時期の住居数は7、8軒、住人は30人ほどだったと考えられます。
山根遺跡の大きな特徴は、土掘り具である打製石斧と、木の実をすり潰すための石皿と磨石が大量に出土したことです。土器は調べると、4時期以上に分類されました。ドングリの森に抱かれて、何世代にもわたって安定した生活が続いていたことがわかります。
コラム2:山根遺跡の縄文カレンダー
- 山根遺跡の縄文カレンダー
(「縄文カレンダー」小林達雄1977より作成) - 冬季の狩猟、夏季を中心とする漁撈、春秋の採集と、四季の変化にあわせた労働のスケジュールが想定されます。内陸部の山根遺跡では採集された木の実などの山の幸は他地域との交易品として、自給することのできない海産物などに換えられたのかもしれません。
縄文人たちは、四季の変化に富む日本の暮らしの中で、地域毎にカレンダーを持っていたと考えられます。といっても、今日は何の日とか、何月何日からこの仕事を始める、という「暦」ではありません。その年、その季節の気象や天災などの自然のリズムに合わせて、ゆったりとした幅を持っています。
おそらく1年の仕事の大半は、食糧確保の作業に費やされたことでしょう。最も忙しかったであろう木の実拾いを終える晩秋から初冬が、枯木や落ち葉を集めての土器焼きの期間だったはずです。冬場は山での猟もありましたが、竪穴住居の中で暖をとりながら、石や木の道具作りに精を出していたのかもしれません。