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嵐山町web博物誌・第3巻「嵐山ジオロジア」

第2節:地形とくらし

1.段丘地形と土地利用

桑畑と段丘面

段丘の桑畑と谷の水田|写真
段丘の桑畑と谷の水田(越畑)

田んぼの左奥が桑畑、その右が刈り取った後の桑畑です。

明治以降の日本では、絹織物等の工業が発展しました。嵐山町でも、絹の原料となる生糸の生産、養蚕が盛んに行われたのです。養蚕に欠かせないのが、カイコの餌となる桑の栽培。桑は水はけの良い場所を好むため、嵐山町では段丘上に桑畑がつくられました。

低地などの湿地は桑の栽培に向かず、かといって比企丘陵の中心部では桑の運び出しなどが不便なので、丘陵の縁辺にある段丘面を利用したと思われます。

なお、県南の入間・狭山地域といった茶所に行くと、段丘面に茶がたくさん栽培されています。茶も水はけの良いところを好むため、段丘面が利用されたのです。

水田と低地

低地に広がる田んぼと麦畑|写真
低地に広がる田んぼと麦畑(杉山)

低地は水の保持が良いため、水田に利用されてきました。比企丘陵は丘陵地帯といっても、市野川、粕川、滑川といった小さい河川が丘陵を削り低地をつくっています。
小さい川にしては谷幅(川の両側の水田を含む範囲)が広く、低地が広いのがこの地域の地形の特徴です。

小川町の奈良梨〜中爪〜嵐山町志賀にかけての市野川沿いでも水田が広がりますが、畑も作られています(かつては桑畑もつくられていました)。
地質をよく調べてみると、畑は低地よりわずかに高い地形になっており、低地との差は小さいものの堆積物などからも段丘面であることが判りました。
現在なら、段丘面も低地も同じように水田にしてしまうかもしれませんが、昔の人々は土地の性質を熟知し、使い分けていたのです。

かつては二毛作が行われ、麦の収穫後に稲作をしていました。その習慣が残ったのでしょうか、この地域では田植えを6月に入ってから行います。
関東地方ではゴールデンウィークに田植えを行うところが多い現在、遅い田植えとなっています。

比企丘陵に刻まれた谷と溜池

谷を堰き止めてつくった溜池|写真
谷を堰き止めてつくった溜池(越畑)

水田は土地だけでなく、水の確保が重要です。この地域は、河川も小さく上流からの用水も望めないことから、溜池が多くつくられています。
比企丘陵に刻まれた小さな谷のほとんどに溜池がつくられ、その下流に水田がつくられています。

溜池と下流側の水田(広野)
溜池と下流側の水田|写真

湧き水・井戸と集落

台地の断面図
段丘礫層と湧き水の関係

段丘面から段丘崖に向かうあたりには、しばしば湧き水があります。これは、段丘面に降った雨などが地面にしみこみ、段丘礫層中をゆっくりと移動し、段丘崖のところで湧き出すためです。

段丘礫層の下には、水をあまり通さない新第三紀層などの地層(不透水層)があるため、隙間の大きい段丘礫層(帯水層)にたくさんの水がたまります。

段丘面を数メートル掘ると段丘礫層が出てきてここから水が出てきます。これが井戸になります。こういった湧き水や井戸が作れるところに集落ができます。大蔵にある中世の集落跡(行司免遺跡)でも井戸跡が見つかっています。

菅谷、鎌形、大蔵などの台地の上にできた集落をささえているのは、段丘礫層中の地下水ともいえます。

鎌形にある八幡神社の湧水
鎌形にある八幡神社の湧水 |写真 木曾義仲が誕生の際、この湧き水を汲み産湯にしたと言われています。
第2節:地形とくらし